大判例

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福岡高等裁判所 昭和54年(ネ)447号 判決

一審原告(昭和五四年(ネ)第一八九号被控訴人同第四四七号控訴人)

竹本己義

(昭和五四年(ネ)第四四七号控訴人)

竹本厚子

亡中島親松訴訟承継人兼一審原告(以下「一審原告」という)

一審原告(昭和五四年(ネ)第四四七号控訴人)

中島ツヤ

亡中島親松訴訟承継人(以下「一審原告」という)

同(同)

松下チヨミ

同(同)

同(同)

中島光雄

同(同)

同(同)

中島孝治

同(同)

同(同)

阪口スミ子

同(同)

同(同)

灘岡とも子

一審原告(昭和五四年(ネ)第一八九号被控訴人同第四四七号控訴人)

岩崎岩雄

(昭和五四年(ネ)第四四七号控訴人)

岩崎カヲリ

一審原告(昭和五四年(ネ)第一八九号被控訴人同第四四七号控訴人)

岡野貴代子

(昭和五四年(ネ)第四四七号控訴人)

岡野正弘

一審原告(昭和五四年(ネ)第一八九号被控訴人同第四四七号控訴人)

緒方覚

(昭和五四年(ネ)第四四七号控訴人)

緒方サチ子

右一審原告ら訴訟代理人

東敏雄

福田政雄

千場茂勝

竹中敏彦

松本津紀雄

加藤修

板井優

荒木哲也

高屋藤雄

村山光信

立山秀彦

安武敬輔

小堀清直

蔵元淳

増田博

馬奈木昭雄

坂本駿一

白垣政幸

上田国広

堂園茂徳

樋高學

安田雄一

井手豊継

西清次郎

三藤省三

松野信夫

矢野競

大村豊

訴訟復代理人

鈴木堯博

西田稔

林田賢一

一審被告(昭和五四年(ネ)第一八九号控訴人同第四四七号被控訴人)

チッソ株式会社

右代表者

野木貞雄

右訴訟代理人

村松俊夫

塚本安平

楠本昇三

畔柳達雄

加嶋昭男

斎藤宏

杉浦正健

松崎隆

関康隆

鈴木輝雄

訴訟復代理人

塚本侃

主文

一  一審被告および一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子の各控訴に基づき原判決中右一審原告らに関する部分を次のとおり変更する。

1  一審被告は、一審原告竹本己義に対し金七五六万円およびこれに対する昭和四九年四月二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  一審被告は、一審原告岩崎岩雄に対し金七五六万円およびこれに対する昭和五〇年一二月二六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  一審被告は、一審原告岡野貴代子に対し金一〇八〇万円およびこれに対する昭和五〇年一二月二六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

4  一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子のその余の請求を棄却する。

二  一審原告緒方覚の控訴に基づき原判決を次のとおり変更する。

1  一審被告は、一審原告緒方覚に対し金六四八万円およびこれに対する昭和五一年四月六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  一審原告緒方覚のその余の請求を棄却する。

三  一審被告の一審原告緒方覚に対する控訴を棄却する。

四  一審原告中島ツヤ、同松下チヨミ、同中島光雄、同中島孝治、同阪口スミ子、同灘岡とも子、同竹本厚子、同岩崎カヲリ、同岡野正弘、同緒方サチ子の各控訴を棄却する。

五  一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚と一審被告との間に生じた訴訟費用は第一、二審を通じてこれを四分し、その三を右一審原告らの負担、その一を一審被告の負担とし、右一審原告らを除いたその余の一審原告らの控訴費用は同一審原告らの負担とする。

六  この判決の第一項1ないし3および第二項1はかりに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(昭和五四年(ネ)第四四七号)

一一審原告ら

1  原判決中一審原告竹本己義、同竹本厚子、亡中島親松、一審原告中島ツヤ、同岩崎岩雄、同岩崎カヲリ、同岡野貴代子、同岡野正弘、同緒方覚、同緒方サチ子関係部分を次のとおり変更する。

2  一審被告は、一審原告らに対しそれぞれ別紙(一)請求金員目録記載の金員を支払え。

3  控訴費用は第一、二審とも一審被告の負担とする。

4  この判決は仮に執行することができる。

二一審被告

一審原告らの各控訴を棄却する。

(昭和五四年(ネ)第一八九号事件)

一一審被告

1  原判決中一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚関係の一審被告の敗訴部分を取消す。

2  右一審原告らの請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも右一審原告らの負担とする。

二一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚一審被告の控訴を棄却する。

第二当事者の主張

当事者の主張は次のとおり付加、訂正するほか原判決事実摘示中一審原告竹本己義、同竹本厚子、同中島ツヤ、同岩崎岩雄、同岩崎カヲリ、同岡野貴代子、同岡野正弘、同緒方覚、同緒方サチ子及び亡中島親松に関する部分と同一であるからこれを引用する(ただし、別紙(二)の正誤表のとおり訂正する。)。

一原判決事実摘示の訂正

1  原判決B2頁三行目に「原告らは別紙(三)患者一覧表記載の本人またはその親族であり」とあるのを「一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚、亡中島親松は患者本人であり、その余の一審原告らは右一審原告らの親族であり」と改める。

2  同一二行目に「別紙(三)患者一覧表記載のものが」とあるのを「一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚、亡中島親松が」と改める。

3  同末行に「原告ら」とあるのを「一審原告竹本己義、同竹本厚子、同岩崎岩雄、同岩崎カヲリ、同岡野貴代子、同岡野正弘、同緒方覚、同緒方サチ子、亡中島親松および一審原告中島ツヤ」と改める。

二当事者の付加した主張

1  公害健康被害補償法はその第一条において「健康被害に係る被害者の迅速かつ公正な保護を図ることを目的とする。」と定めている。しかし、この「迅速かつ公正な」という要請は現在実現されていない。

むしろ、昭和五三年六月一六日の水俣病関係閣僚会議は(1)一審被告チッソ救済のための県債発行、(2)そのみかえりとしての新認定基準、(3)国の審査会の設置の方向を決定した。そして県債の増大を防ぐための厳しい新認定基準(判断条件)を作成し、四肢末梢性知覚障害プラス失調という臨床症状の組合せを主体とすることにより多くの患者を切り捨てようとしてきた。もとよりそれまでの認定審査会が十分であつたというのではない。むしろそれまでの審査会も第一審で明らかにされたとおり患者の生活歴や食歴及び自覚症状を無視し臨床症状の多くを切り捨て、見落して多くの患者を棄却し救済の範囲外としていた。しかし判断条件の適用以降はその傾向はより一層強まつたのである。その結果、例えば、昭和五五年四月の熊本県認定審査会においては一三〇名のうちわずか一名しか認定されないという誠に驚くべき処分がなされた。

2  水俣病に罹患した者全てを包括する適正な認定基準は次のごときものというべきである。すなわち、

まず前提として不知火海の魚介類を多食したことが必要であるが、次の(一)または(二)のものが認められれば水俣病と確実に診断できるのである。もちろん(一)または(二)のものがなければ水俣病でないと主張するものではない。

(一) 四肢末梢性の知覚障害があれば水俣病である。

(二) 知覚障害が不全型であつたり、証明出来ない場合でも次のような場合は水俣病である。

(イ) 求心性視野狭窄がある場合。

(ロ) 口周囲の知覚障害、味覚、嗅覚障害、視野沈下、小脳性あるいは後頭葉性の眼球運動異常、失調(耳鼻科平衡機能障害)、中枢性聴力低下、構音障害、振戦などの症状がある場合。

疫学条件が濃厚で日常生活の支障が明らかであり、たとえ知覚障害が不全型であつたり証明できないときも、メチル水銀によつて出現しやすい症状があれば水俣病である。

3  本件訴訟は、一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚、亡中島親松(以下「一審原告患者ら」ともいう)が一審被告の排出したメチル水銀により汚染された魚介類を経口摂取したことによりメチル水銀中毒の被害を受けているか否かが主要争点である。右事実の認定にあたつては、汚染のひろがり、家族の健康状態、同一部落における患者の発生状況、家畜の狂死などの環境異変の状況など多くの事実を検討すべきであるが、最も重要なものは次の三点である。すなわち

(一) 右一審原告患者らがメチル水銀に汚染された魚介類を多量に摂取したこと、

(二) 右一審原告患者らにメチル水銀中毒症にみられる臨床症状、自覚症状、日常生活における支障、機能低下などが認められること、

(三) 右症状等をひきおこす他の要因の存否の有無、

右(二)においてみられる症状等はメチル水銀に汚染された地域に高率にみられるものであればよく、その中でも特に、前項主張の症状があれば十分であり確実である。

そして、右三点を立証責任の関係からみれば右(一)(二)が立証されれば、右一審原告らがメチル水銀中毒症としての被害を受けていることが強く推定されるから(三)については一審被告において立証すべきである。そして一審被告が(三)を立証したとしても、それだけで右一審原告らがメチル水銀中毒症としての被害を受けたことを否定することにはならない。その場合、当該患者については、原因の競合があつたといいうるに過ぎない。水銀の曝露と他原因の存在とは矛盾するものではないから、その患者の症状等は両原因によつてもたらされたと考えざるを得ないからである。一審被告が責任を免れるためには、前記(一)(二)の反証として右一審原告らがメチル水銀の曝露をうけていないこと、または一審原告らの症状等がメチル水銀中毒症の症状等と異なることを立証すべきである。

4  右一審原告らの症状の原因を知るためには、すでに述べたとおり右一審原告らにおけるメチル水銀曝露の状態を知ることが不可欠である。そのためには、まず本件における汚染のひろがりと深さを知らねばならない。まず認定患者を例にとつて考えてみると、補償金が認定とむすびついているため、不当に厳しい審査をする熊本、鹿児島両県の公害健康被害認定審査会(以下「審査会」という)においても、昭和五五年六月三〇日現在の認定者数は熊本県一四〇二名(うち死亡三五三名)鹿児島県二八九名(うち死亡三〇名)であり、昭和五九年一二月では熊本県一六五三名、鹿児島県三八一名である。

その認定患者の発生地域は別紙(三)の図のとおりきわめて広範囲に及んでいる。そしてこの地点はネコの狂死が確認された地域及び魚が浮上した地域ともほぼ一致している。田浦町、芦北町、津奈木町、水俣市、出水市、米ノ津町、高尾野町さらに島では桂島、長島、獅子島、御所浦島、天草上島にまで及ぶきわめて広大な地域に患者が発生している。

このような濃度の汚染の中で、右一審原告患者らはいずれも水俣病患者の多発した地域に長年居住し、かつ多量に不知火海産の魚介類を摂食したのである。従つて右一審原告患者らが濃厚なメチル水銀曝露をうけていることは確実である。

5  ところでメチル水銀中毒症にみられる自覚症状及び日常生活上の支障には「物忘れ、計算しにくい。考えるのがむずかしい。体がだるい。つかれやすい。手足に力がはいりにくい。力が弱くなつた。頭痛、頭重、しびれ感。根気がない。仕事が永続きしない。体の筋肉がピクピクする。眠られない。ぐるぐるまわるような目まいがする。耳鳴りがする。テレビ、ラジオ、人の声がききとりにくい。目がつかれやすい。遠くのものがよくみえない。物が二重にみえる。つまづきやすい。字がうまく書けない。手がふるえる。手が思うように動かない。ボタンかけがしにくい。肩こり。腰痛。においがよくわからない。かもいなどに頭をぶつつけやすい。」などの他きわめて多くの自覚症状があり(甲第一五九号証、第二五号証「二年度」五七頁以下)、その臨床症状には「知覚障害(四肢末梢性のほか全身性、半身性、下半身性など多様性がみられる。)運動失調、構音障害、聴力障害、平衡機能障害、求心性視野狭窄、視野沈下、眼球運動異常、脱力、振戦、反射異常、筋萎縮、味覚障害、嗅覚障害、意識障害発作、精神症状、知能障害、自律神経症」などきわめて多彩なものが現在までに判明しているが、右一審原告患者らにみられる健康障害(亡中島親松については、みられた健康障害)は、右に述べた多彩な健康障害と一致していたのであり、右一審原告患者らは水俣病に罹患していたことが確実である。

6  変形性脊椎症につきそれを安易に知覚障害と結びつけるのは不当である。すなわち

(一) 変形性脊椎症はレントゲン線上の脊椎の変化をいうが、中年以上の人には五〇パーセント以上の割合でこの変化がみられる。

(二) 多くの場合変形性脊椎症は知覚障害を伴わない。

(三) 知覚障害を伴う変形性脊椎症は、神経根症(ラジクロパチー)及び脊髄症(ミエロパチー)であるが、その場合の知覚障害はメチル水銀中毒症にみられる知覚障害とは、障害部位、症状の出現する部位、程度および他の症状を異にする。

から、右の点を考慮することなく、亡中島親松の知覚障害を変形性脊椎症を原因とするものと認定することは不当である。

また、脳血管性障害と知覚障害との因果関係を安易に認めるのも誤りである。脳血管性障害の全てに知覚障害が出現するものでもなく、かつ脳血管性障害から来る知覚障害は軽快しやすいという特徴をもつているからである。

7  かりに、他疾患があつても、メチル水銀中毒症を否定することはできない。すなわち右一審原告患者らはメチル水銀の濃厚な汚染をうけ、メチル水銀中毒症にみられる多彩な健康障害を有しているのであるから、他疾患の存在および症状との因果関係が証明されたとしても、右一審原告患者らの症状は、両疾病の競合によるものであることが証明されるに過ぎないのである。

8  亡中島親松が臨床上水俣病であつたことは明らかである。

(一) 原審鑑定人原田正純(以下「原田鑑定人」という)は亡親松について「知覚検査において、手袋・足袋様の知覚障害を証明することはできなかつた」としているものの、症状が証明されなかつたということと症状がないということとは異なる。原田鑑定によれば、親松には性格及び知的機能の精神障害があるところ、精神障害等のために知覚障害が証明しにくいことは同鑑定人がその鑑定書にふれているとおりである。しかして、同鑑定人は、以前に親松を四回診療し、昭和四六年一一月二一日左半身の知覚鈍麻を、同四九年一〇月二七日は臍から下の知覚障害と四肢末端に強い知覚障害を、同五〇年一〇月一八日は左半身と四肢末端の知覚障害を、同五二年一一月二〇日は四肢末端の知覚障害をそれぞれ認めているだけでなく、佐野医師は昭和五一年一二月二日付診断書で、藤野医師は同五四年六月一二日付の診断書で、それぞれ親松に四肢末梢の知覚障害を認めている(甲第七八号証、甲第四一五号証の四各診断書)から親松には四肢末梢性+左半身性の知覚障害があつたというべきである。

もつとも亡中島親松に脳血管性障害および変形性頸椎症があつたが、メチル水銀は動脈硬化を起すほか、全身の臓器を傷害するのであり、脳血管性障害自体がメチル水銀中毒によつて発症するとされているから、亡中島親松の脳血管性障害にはメチル水銀が関与していたものと考えるのが当然である。百歩譲つて、脳血管性障害はメチル水銀中毒と無関係であるとの立場を前提としても、他の原因の存在はメチル水銀中毒症を否定するものではない。汚染地区の住民は程度の差こそあれ、メチル水銀の汚染を受けるものであり、健康であつたものだけがメチル水銀の影響を受け、疾病を有していた者は何らメチル水銀の影響を受けないということはないからである。そして、変形性頸椎症と水俣病の症状とは別であるばかりか、変形性頸椎症があつても必ずしも障害を起すものとは言えないのである。

(二) 亡中島親松に運動失調、構音障害があつたことも前記原田鑑定により認められ、これは後記の亡中島親松の剖検における小脳の所見において、プルキンエ細胞層直下の顆粒細胞層の脱落という水俣病に特徴的な障害があつたことでも裏付けられている。

(三) 亡中島親松に視野狭窄、眼球運動異常があつたことは原田鑑定でも、佐野医師、渥美医師の診断でも認められている。亡中島親松に脳血管性障害、高血圧性眼底(点状線の網膜出血が数個みられる。)があつても、脳血管性障害でみられる視野狭窄は四分の一盲あるいは半盲であり、脳血管性障害で求心性視野狭窄がおこることは極めて稀であるだけでなく、動脈硬化で視野狭窄をきたすのはキース・ワーグナーのⅢ以上の場合であるところ、亡中島親松はⅡ程度であり、動脈硬化で視野狭窄を説明することはできないのである。

(四) 亡中島親松に聴力障害、耳鼻科的平衡機能障害があつたことも、原田鑑定、佐野医師、藤野医師の診断で確認されている(甲第七八号証、第四一五号証の四各診断書)。

(五) 以上のとおり亡中島親松には、四肢末梢性の知覚障害、また運動失調、視野狭窄、眼球運動異常、聴力障害やこれらの症状と連なる日常生活の支障、自覚症状があつた。そして妻である一審原告中島ツヤもまた水俣病患者にみられるさまざまな症状およびこれと一連の自覚症状、日常生活の障害がある。そうすると、亡中島親松の右の臨床ならびにメチル水銀の汚染を示す疫学的事実、さらに同人がメチル水銀に高度に汚染されていることを確実に証明する毛髪水銀のデータ等を総合すれば、亡中島親松がメチル水銀中毒症に罹患していたことは明らかである。

(六) ところで亡中島親松は、当審の審理中、昭和五五年一〇月二二日、出水市立病院で死亡し、同日、鹿児島大学医学部第二病理学教室で剖検に付された。死亡時七二才であつた。しかして、翌五六年一二月一九日、二〇日開かれた鹿児島県の審査会で右解剖結果等にもとづく審査がなされ、同審査会は、同月二五日「水俣病の判断条件に該当せず(水俣病とは考えられない)」との答申をなし、翌五七年一月八日、鹿児島県知事は棄却処分をなした。しかし、右第二病理学教室は神経病理専門の教室ではなく、主任の佐藤栄一教授の専門は消化管及び悪性リンパ腫であり、解剖を担当した後藤正道医師は大学卒業後約二年半経過したばかりで病理を専攻して一年半、水俣病と診断された患者ないしその疑いで解剖した経験は一例であり、執刀以外で関与した例をいれてもわずか四例であり、亡親松の解剖にあたり、標本のとりかた、対照の仕方、病理診断基準に問題があるというべきであるが、それはともかくとして、その剖検の所見(甲第四一五号証の一一)は

(1) 大脳においては、

「B 組織学的検索

1 脳全体に血管の硝子化が著明にみられ、肉眼で認められた硬塞巣以外にも、大脳皮質を中心に微小硬塞が無数に散在している。

2 大脳皮質では神経細胞の脱落とグリア細胞の増加が見られる。この所見が前頭葉と比べて後中心回、上側頭回、鳥距野などに強いことは確認できない。

3 鳥距野では皮質における垂直性の細胞配列の不明瞭化が認められる。

4 視放線は髄鞘染色で、内矢状層は外矢状層に比べわずかに染色性の低下がみられる。」

とする所見を示しているが、これが典型的水俣病の病理像を示しているとはいえないとしても、メチル水銀中毒症と矛盾するものではなく、むしろ、水俣病に特徴的な病理所見が一つでもあればメチル水銀の影響を疑うべきである。

(2) 小脳については、

「B 組織学的検索

1〜4(略)

5 小脳では虫部小節と虫部垂を中心にプルキンエ細胞の配列および方向のみだれと、顆粒層神経細胞のプルキンエ細胞層直下における軽度の脱落が見られる。わずかながらベルグマングリアの増加とその下層に小量の線維化すなわち軽度の瘢痕形成も存在する。プルキンエ細胞の軽度の脱落も存在する。

6 水銀の組織化学(Autochemography)では小脳のプルキンエ細胞層とその近傍の毛細血管内皮に金属顆粒の集積をみる。」

との所見であるが、プルキンエ細胞直下の顆粒細胞の脱落いわゆるアピカルスカーは水俣病患者の小脳においてみられる特徴的なものである。

(3) 末梢神経については

「B 組織学的検索

1〜7(略)

8 末梢神経にはほとんど変化は認められない。」

との所見で、これが、亡中島親松が水俣病らしくないことの第一の根拠となつているのであるが、しかし右の所見にもかかわらず、亡中島親松がメチル水銀中毒症でないとすることは誤りである。すなわち、臨床的に知覚障害の認められない水俣病患者もいるし、ハンター・ラッセルの解剖例では、以前臨床的に知覚障害があつたのに、病理的には末梢神経に障害がないとされているのである。しかも、水俣病に特徴的な知覚神経優位の障害が認められなかつたとしても、末梢の知覚神経の再生も水俣病の慢性軽症例に特徴的であるから、末梢神経に変化がなかつたことを以て、末梢神経に有機水銀中毒の病変が生じなかつたとは言えないのである。そして、亡中島親松の腓腹神経、後脛骨神経のヒストグラムはいずれも一〜二ミクロンと六〜七ミクロンとにピークのある二峰性分布といつてよい状態であるが(甲第四一五号証の一二)直径一〜二ミクロンの線維は、腓腹神経では三〇〇〇本に近く、後脛骨神経では三〇〇〇本以上に達し、ともに大経線維よりはるかに多く、微小な神経線維の増加は明瞭であり、亡中島親松の末梢神経のヒストグラムは、同人が、一旦、末梢知覚神経に障害を受けその線維が再生したため、脊髄の前根(運動神経)に比較し、後根(知覚神経)に有髄線維が多い状態となつたのであり、亡中島親松の有髄線維がほぼ完全に保存されて末梢神経にほとんど変化が認められなかつたからと言つてメチル水銀中毒に罹患していなかつたことにはならない。

(4) 臓器水銀値については、鹿児島大学第三内科が測定しているが、その臓器水銀データは

大脳 中心前回左 〇・六五八ppm

右 〇・三〇四ppm

中心後回左 〇・二七ppm

右 〇・五一ppm

後頭葉 左 〇・三九三ppm

右 〇・三九四ppm

小脳     左 〇・二一二ppm

右 〇・〇一八ppm

肝臓       一・五一五ppm

腎臓       四・五〇六ppm

となつており、亡中島親松の解剖を担当した後藤医師も、小脳については、コントロールの約二倍から三倍の蓄積、大脳皮質については三倍か四倍の蓄積があることを認めているのであり、なおかつ、臓器水銀値のパターンも特に腎臓に高い数値を示す水俣病患者らと同様のパターンであることが明らかである。

(七) 以上のとおり、亡中島親松は、メチル水銀に濃厚に汚染され、水俣病にみられる臨床症状等があり、また水俣病にみられる病理所見もある。ことに小脳のアピカルスカーは水俣病に特徴的な所見であつて、右所見だけからも同人が水俣病患者であることは明らかである。

9 右一審原告患者らの損害は①メチル水銀中毒症の症状についてすでに述べてきたとおり、極めて多彩であり、それは全身に及ぶものである。その症状の一つ一つが患者にとつて多大の苦しみを与えるものであること、②家族ぐるみであること、③メチル水銀中毒症は難治の病であり、未だ有効な治療法がなく、右一審原告患者らの苦しみは死ぬまで続くものであること、④右一審原告患者らの被害は一〇年から二〇年の長年月にわたつて続いて来ているものであり、その間全く救済を受けていないこと、⑤水俣病被害者の会と一審被告との間で昭和四八年に協定書が締結されているが、この協定書によれば認定患者には最低のランクでも一六〇〇万円の慰謝料と毎月二万円(協定当時)の手当が支給されることとなつており、現在一六〇〇名以上がこの適用を受けている。以上の点をふまえて、右一審原告らの被害の実態を直視すれば、原判決の認容額は不当に低廉であり、右一審原告らの請求額を認容すべきである。

10 亡中島親松は、昭和五五年一〇月二二日死亡した。同人の相続人は一審原告中島ツヤ、同松下チヨミ、同中島光雄、同中島孝治、同阪口スミ子、同灘岡とも子であり、同中島ツヤは亡中島親松の妻として同人の権利の三分の一を、その余の相続人はいずれも子として同人の権利の一五分の二を承継取得した。

そこで、一審原告中島ツヤの承継取得した損害賠償請求額は亡中島親松の損害額三二二〇万円の三分の一額金一〇七三万三三三三円とこれに対する昭和五〇年六月一三日から支払済までの年五分の割合による遅延損害金であり、その余の相続人の承継取得した損害賠償請求額はその一五分の二額金四二九万三三三三円とこれに対する右同日から支払済までの年五分の割合による遅延損害金である。なお、一審原告中島ツヤについては右金員に、原判決別紙(二)請求債権額一覧表中同人の欄記載の金員と右同日から支払済までの年五分の割合による損害金を加算する。

11 一審被告は、一審原告らの所属する水俣病被害者の会および他の五団体が一審被告申請の証人の出廷や自由な証言を妨害したとして民訴法第三一七条に準じ一審原告緒方覚の水俣病罹患の有無につき二回目の熊本県の審査会における結論を真実として認定すべきであると主張するが、右主張は争う。

二一審被告の主張

1  水俣病か否かの判断は、臨床症状により、しかも各症状を総合的に把握して行うべきである。

(一) 本件訴訟は、一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚および亡中島親松に罹患し、または罹患していたか否か、また罹患し、または、罹患していたとしたならばその損害をどのように評価するかが争点である。

ところで、水俣病であるというためには、臨床上これを認めるに足りる症状があることが必要である。解剖を行い、電子顕微鏡による検査をした結果、病理学的に何らかの微細な病変が認められたとしても、臨床的に症状がなければ水俣病ではない。まして本件では損害賠償請求権の有無が問題となつているのであつて、メチル水銀中毒による具体的な機能障害、生活障害が出現していない以上損害賠償請求権は認められないのである。

(二) ところで疾病についての判断は、受診者の全症状を総合して当該疾病がある、あるいはその可能性はない等と診断する医学についての高度の学識と経験に基づいて行われる総合判断である。したがつて、受診者にみられる各所見をばらばらに分解し、その一つ一つについて他の疾病による症状として原因説明がなされないならそれはすべてメチル水銀によるものであると判断しうると考えるとすれば、それは単に各症状について機械的に引き算を行つた上で残余のものはすべて水俣病であると結論を出しているに過ぎず、疫病の有無についての医学的判断とは程遠いといわねばならない。

2  水俣病であると認定するには、この点につき高度の蓋然性が立証されるべきである。

(一) いうまでもなく、訴訟上証明されたということは、一点の疑義もない自然科学的証明がなされたことをいうのではないが、経験則に照らして全証拠を総合検討し、その結果、原告の主張を是認しうる高度の蓋然性が証明されたことをいうのであり、その判定は通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とするのである(昭和四八年(オ)第五一七号、同五〇年一〇月二四日最高裁第二小法廷判決、民集二九巻九号)。

(二) 以上の点は、本件の審理においても、いわば自明の前提である。水俣病は、メチル水銀化合物を蓄積した魚介類を経口摂取することによりヒトに発症をみる疾病であるが、わが国ではこの疾病が発見された昭和三一年以来、すでに二〇年以上に及ぶ研究が行われており、一方においては、かかる経口摂取によつて直ちに発症をみるのではなく、その量と程度および摂取の期間ならびに個人差によつて発症に至るか否かが大いに左右されることが明らかにされており、また他方においては、どういう症状があれば水俣病と診断しうるかについて、水俣病に関する高度の知識と経験を有する専門医学者なら、特段の偏見を抱かぬかぎり、自ら一致しうる状況に至つているのである。魚介類を摂取した等の事実があることを理由に、証明責任の程度を著しく緩和しうると考えるとすれば、それは明らかに誤りであり、一審原告らは立証法則の原則にたち返つて、自らが水俣病であることを高度の蓋然性をもつて証明すべきである。

(三) 因みに水俣病か否かの判断に関しては、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法または昭和四九年九月一日以降は公害健康被害補償法に基づく水俣病認定の申請に対して公害被害者認定審査会または公害健康被害認定審査会(以下いずれも「審査会」という)の答申による知事の認定ないし棄却の処分が行われ、あるいは答申保留の事例も存する。右の、水俣病か否かの認定に関し、環境庁は、昭和五三年七月三日付環保業第五二五号環境事務次官通達をもつて、「申請者が水俣病にかかつているかどうかの検討の対象とすべき全症候について、水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づいて総合的に検討し、医学的にみて水俣病である蓋然性が高いと判断される場合には、その者の症候が水俣病の範囲に含まれるというものであること」としているが、同法に基づく認定は、周知のとおり被害者救済の見地に立ち、より広く行政上の救済を行うという前提のもとになされる処分であるから、かかる認定がなされたことは、必ずしも訴訟上要求される高度の蓋然性をもつて水俣病と認められたことを意味するものではないが、しかし、水俣病の申請に対して棄却処分が行われた場合は、水俣病であることにつき、訴訟上要求されるような高度の蓋然性が認められないことを意味するのである。

そして本件における一審原告患者らは、かつて審査会において棄却処分を受けた者ばかりである。

そうである以上、このような者につき、単に一審原告患者らが水俣病であることを否定できないとか、ましてや一審原告患者らの症状が有機水銀の影響によることを否定できないことをもつて、水俣病と認定することは許されない。

3  本件の判断に当つては、水俣病についての専門医学者の意見を総合的に集約した「判断条件」を尊重すべきであり、また専門医学者による通常の医学判断に依拠すべきである。

(一) 本件において一審原告患者らが水俣病であると認定されるためには、高度の蓋然性をもつてこれが立証されるべきであるから、少なくとも、医学上、水俣病であるとの確実な診断がなければならず、しかもこの診断は、高度の蓋然性の立証が要求されている以上、大方の専門医学者の同意が得られるようなものでなければならないことは当然である。

しかし水俣病については、すでに、相当の年月に亘る研究がなされており、その判断の条件に関しては、昭和五二年七月一日、環境庁が「後天性水俣病の判断条件」として、これを発表し、通達している(乙第四〇号証の一ないし三、同第四一号証。以下「判断条件」という。)。この「判断条件」は、環境庁の通達の一部となつているが、わが国において水俣病の認定を行つてきた、熊本、鹿児島および新潟のすべての審査会の現委員および元委員をほぼ網羅した会議における討議を通じて、これらメンバーのコンセンサスの得られたところがまとめられているのである(原審における野津聖証言、52.9.29、№21〜48)。もつとも、この内容は、従前、各審査会が審査を進めてきた際の判断の条件を文章化したものであつて、従前の各審査会の判断条件がこの通達によつて特に変更されたというのではない(野津証言、52.9.29、№54〜56)。

右の、熊本、鹿児島および新潟の各審査会は、水俣病発見以来、その研究および診療に従事してきた医学者を中核として組織され、水俣病の調査、研究および審査を通じて、現在の日本における水俣病の研究の最高水準にあるものであるから、これらのメンバーのコンセンサスの結果である「判断条件」こそ尊重されるべきである。

(二) しかして、右の「判断条件」は、水俣病における特徴的症状を掲記し、併せて水俣病であることを判断する場合における各症状と水俣病との関連および各症状相互間の関連について考慮すべき事項を記載しており、さらにこれらの事項を踏まえながら、高度の学識と豊富な経験に基づき総合的に判断することが必要である、としている。そして右の「判断条件」において、例えば、感覚障害、運動失調等の症状というときは、それらはいずれも、単に検診の際に得られたなまの所見をいうのではなくて、前記のように各角度からの専門家による総合判断の結果、水俣病の所見であることが確認されたものをいうものであるということはいうまでもないのである。

(三) しかして、患者の各症状が水俣病の症状として把握しうるかどうか、またその前提として、これらの症状があると判断すべきかどうかという所見のとり方もまた極めて重要である。水俣病について知識、経験の豊富な専門医であれば、症状の有無の判定は自ら一致するはずであるが、独りそれらと違う所見のとり方を繰り返す者があるとすれば、その判断は客観性を欠く独自の特殊な判断であると評すべきである。

4  水俣病か否かの判断を行うための採証に当つては、審査会の審査結果を尊重すべきである。

(一) 前記のとおり、熊本および鹿児島の審査会は、水俣病の診断について多年に亘る知識と経験を有する専門医によつて構成されており、「判断条件」に則つて審査を行つている。具体的な医学的検査、検診は極めて複雑かつ広範であり、その概要を、熊本県における認定申請から処分に至るまでの手続についてのべると、以下のとおりである。

イ 認定申請書が熊本県公害保健課(以下「公害保健課」という。)に提出されると、その記載および診断書等の添付書類について形式審査の上、適法であれば受理されるとともに、申請者に対し受理通知が行われる。

ロ 次に、所要の医学的検査等が行われる。すなわち、公害保健課は、関係医師等と打合せのうえ、検診計画をたて、右計画に基づき熊本県水俣病検診センター(昭和五一年五月一日以前は国民健康保険水俣市立病院検診センター。以下「検診センター」という。)において、熊本県職員による疫学調査(病歴、職歴、生活歴、魚介類の入手方法および摂取歴、家族の状況等についての調査。原則として個別訪問して調査する。)および予備的検査として視力検査(裸眼視力および必要に応じて矯正視力の検査)、視野測定(ゴールドマン量的視野計を用いて求心性視野狭窄および沈下の有無を調べる検査)、視標追跡眼球運動検査(眼電位図により眼球運動の障害を調べる検査)、純音および語音聴力検査(自記オージオメーター等を用いて難聴の鑑別を行う検査)、視運動性眼振検査(回転ドラムを用いて解(ママ)発される眼振の異常により平衡機能障害を調べる検査)等が行われる。

ハ これらの疫学調査および予備的検査の後、感覚障害、小脳性運動失調、平衡機能障害、構音障害、振戦、けいれん、筋力低下、精神症状、視野狭窄(および沈下)、眼球運動異常、中枢性聴力障害等、また胎児性の場合には、知能発育遅延、言語発育障害、運動機能の発育遅延、共同運動障害等の脳性小児麻痺様の症候があるか否か、また、これらの症候が有機水銀の影響によるものであるか否か、あるいは他の疾患との関連はどうかなどを調べるために神経内科、神経精神科、眼科、耳鼻咽喉科および必要に応じて小児科等の専門医師による検診(神経精神科の検診では、認定申請者の要望等過去の経緯に基づき、精神症状に限らず、神経症状の分野の検診も行われている。つまり、神経内科と神経精神科の検診はそれぞれ重複し、ほぼ同じような検診となつている。)が行われるほか、血圧測定、尿の一般検査、梅毒血清学的検査、頸部の単純、断層および五〇歳以上では腰部の単純X線検査が行われる。

また、医師の指示により、必要に応じて各種血液検査、脳波検査、筋電図検査、末梢神経伝導速度検査、四肢の骨、関節、頭蓋等のX線検査、末梢神経生検等が行われる。

ニ 検診センターに来所して検査を受けることのできない重症者、高令者等に対しては、医師が申請者宅に出向いて検査を行う。また、申請者が死亡した場合においては、遺族の意向により解剖のうえ病理的検査が行われる。

ホ 以上の検査終了後、各科医師において、これらの検査資料に基づき審査資料を作成し、整理し、公害保健課に提出する。

知事は、これらの資料の整備された申請者について当該資料を添付して審査会に諮問し、審査会の審査、答申を経て、その意見に基づき認定に関する処分を行うのである。

(二) しかして、近時、認定される者の大半は、水俣病としては軽症であり、その示す水俣病の症状は、著しく軽微である。しかし、受診者は加令現象や他の疾病による症状をもつて水俣病による症状と確信しているのであり、それらと水俣病の症状との鑑別診断は決して容易ではない。そのため審査会では、重点をおいた再検診あるいは新たに精密検診を行つているし、一応水俣病ではないと考えられるものでも、その疑いを捨てきれない場合は、一定期間の経過をみて再検診を行うというように慎重な審査が繰り返されている。なお、症状の変動が大きいために判断困難な事例、運動機能の検査所見では異常であるのに日常動作においては正常であるなど神経内科学的にみて整合性に欠ける事例、知能障害、高令等のため一、二回の検診では所見を十分にとることができない事例などは、審査会の答申は保留され、最終判断に慎重が期されている。

以上のように、審査会の答申に表明された医学的判断、特に、水俣病ではないとする判断は、慎重な検討が繰り返された末のものであり、しかも、多数の専門医が委員としてこれに参加したものであつて、その判断は、十分に信頼できるものといわねばならない。

したがつて、本件において、一審原告患者らが水俣病か否かを判断するにあたつては、多数の専門医による討議、検討の結果出された医学的判断である審査会の判断を尊重すべきである。

5  病理上亡中島親松が水俣病でないことが、病理解剖を担当した鹿児島大学医学部第二病理学教室後藤正道医師の病理所見で明らかとなつたというべきである。病理的に病変が把握されることと臨床的に症状の所見が得られることとは決してパラレルではないが、少くとも軽度の病変の存否も、病理的検索により捉えることができるのである。亡中島親松については体内の水銀値が高いことから何か特徴的な病変がないかと慎重に検索されたが、

(一) 亡中島親松の主要な病変は、大腸癌と胃潰瘍そして急性の気管支肺炎があり、さらに脳の萎縮があるが脳全体に動脈の硬化があり、それが原因となつて大脳皮質を中心に微小の硬塞が無数に散在しており、大脳にみられる神経細胞の脱落は、右の硬塞による細胞の栄養不足、虚血による(甲第四一四号証の五、後藤証言57.12.10、№36〜39・65〜68・78)と判断され、

(二) 大脳には全般的に神経細胞の脱落とグリヤ細胞の増加がみられるが、メチル水銀によつて選択的に傷害され易い鳥距野、後中心回、上側頭回など前頭葉と比較した場合水俣病に特徴的な病変の分布はなく、したがつて、同人の大脳にみられる病変は動脈硬化に基づくものである(甲第四一五号証の五、後藤証言57.12.10、№69〜78)とされている。

(三) そして小脳については、水俣病の症度としては最も軽い場合にみられる尖頭瘢痕形成、いわゆるアピカルスカーの存否とその解釈が問題となつたのであるが、後藤医師は「非常に軽度のアピカルスカー」ないし「いわゆるアピカルスカーに似た病変」とし、一般剖検例においても悪性腫瘍や加令性変化により形態学的にアピカルスカーと区別できない所見がしばしばみられるとしているのである。

(四) 更に、末梢神経については、水俣病の場合知覚神経優位の障害がみられる(重症に至れば運動神経も傷害されるが)とされているが、亡中島親松には水俣病にみられる病変はないと判断されている。

(五) また、亡中島親松が臨床所見上も水俣病でなかつたことは、亡中島親松の三度に亘る公害健康被害補償法認定(水俣病)申請に対し、鹿児島県知事は棄却処分を行つているが、鹿児島県審査会の審査資料はこれを明らかにしており、殊に、亡中島親松が昭和五五年一〇月二二日、その死亡に伴い同審査会が前記病理的検索の結果に基づき同県知事に対してなした答申は「水俣病とは考えられない」とした理由として「①臨床所見のうえで水俣病らしさを疑う症状がない。②定量を含む病理形態的に、末梢神経が正常、③中枢神経系の病変に水俣病としての一定のパターンが認められない。」としていることが考慮さるべきである。

6  一審原告緒方覚については、すべての検診、検査を通じて四肢末端の知覚障害があつたのみで、他に水俣病を疑わせる症候はなく、これのみによつては到底水俣病であると認定できないものである。いうまでもなく、メチル水銀による障害の好発部位の一部に傷害を与えて、それによる症候が臨床所見として得られている場合は、他の好発部位にも傷害を与えて何らかの症候が得られて然るべきであつて、慎重な検査によつてもなお他の好発部位にメチル水銀に基づく症状が見出されないとするならば、水俣病である蓋然性は極めて低いといわねばならない。そして特に四肢末端の知覚障害を来たす他原因の多いこと(甲第四〇二号証、168・169頁)はいうまでもないから、知覚障害の所見があることのみで水俣病を疑う医学的根拠は甚だ乏しいといわねばならない。

しかも、昭和五二年七月一日付環境庁保健部長通達における「後天性水俣病の判断条件」は現在における水俣病研究の各分野の専門学者の討議とコンセンサスによつて、有機水銀の影響を否定しえない場合をまとめたものであること前記のとおりで、そこにおいては、疫学的条件の存在とともに、各症候ないしその疑いの組合せがどうあれば水俣病と考えられるかを、専門学者の知見に基づいて具体的に整理している。これが現在医学的に正統と考えられる専門的な判断水準であるが、ここでも知覚障害だけしか症候のない場合は水俣病と考え難いことを前提として他の症候の組合せを必要としているのである。従つて、メチル水銀中毒症の診断をするためには、特徴ある臨床症状の組合せが重要である。

なお、同一審原告については、第一回目の認定申請に係る棄却処分(乙第一六号証の一ないし一一)の後に、更に昭和五一年三月同人より認定申請があり、昭和五四年三月に原判決が出された翌年の昭和五五年一月二四日に認定棄却相当としての審査会の答申が行われ、これを受けて一月二五日、熊本県知事は同一審原告の認定申請を棄却する旨の処分をなしている(乙第六四号証の一ないし一〇)。

ところで同一審原告の二回目の認定申請に関する乙第六四号証の神経内科、眼科、耳鼻科等の検診における各所見の意義と、これらを総合した医学的判断の結論に至るまでの筋道を明らかにし、審査会の判断が正しいことを立証するため、熊本県審査会の委員として右の内容を熟知している岡嶋透氏を証人に申請したところ、昭和五六年一二月一九日、採用が決定され、翌昭和五七年四月二三日の証拠調期日に証言が得られる予定であつた。しかるに、一審原告らの所属する水俣病被害者の会および他の五団体は、同証人が証言することは、一審被告に味方するものであるとの謂れのない非難を行い、同人に対しては勿論のこと、審査会や県の担当部局、さらには県知事にまで集団で面会を求めた上、同証人が証言しないように、また証人として出廷しないように執拗に要求し、交渉して同証人に圧力を加えた(乙第八五号証の一ないし七)。このため、同証人は職務上も種々の支障を生ずることを懸念するに至り、一審被告としては同証人に累を及ぼすことを危惧して、己むをえず証拠調の直前である同年四月九日、証人申請を取り下げるに至つた。本来、公正な審理を行うためには、事実を明らかにすることが必要不可欠であり、そのため何人も証人として証言すべき義務のあることはいうまでもなく、またそれを支え確保するため、いやしくも出廷や自由な証言を妨害するがごときは厳に避けるべきことである。本件における一審原告らの行動は、明らかにこれに反するものであり、また自ら証人申請をなしうるのに右事態のまま放置している以上、民訴法第三一七条に準じて、二回目の審査会の結論を正当と認める事由に該当するというべきである。

7  一審原告岡野貴代子、同竹本己義、同岩崎岩雄にも水俣病と認めるに足る症状がないことは、原審で主張したとおりであるが、一審原告岡野については第一回の認定申請に係る棄却処分後、昭和五二年五月七日に第二回目の認定申請がなされていたが(乙第六五号証)、改めて神経内科、眼科、耳鼻科等の検診を何度も慎重に行つて、昭和五九年六月二八日、審査に付せられているが、答申留保となつており(乙第八三号証)、また一審原告岩崎についても第一回の認定申請に係る棄却処分後、昭和五二年六月二四日に第二回目の認定申請がなされ、改めて、内科、眼科、耳鼻科の検診と審査が三回もくり返され、そのあともう一回審査が行われているにかかわらず、審査会の答申は「わからない」として保留されている(乙第八二号証)。このように同人らには、水俣病と認めるに足りる症状がないのである。

8  損害額算定の基本的考え方

本訴において一審原告らが民法第七〇九条に基づき水俣病に罹患したことによる損害の賠償を求める以上、現実に発生した財産的損害および精神的損害を具体的に算定したものが一審原告らの損害であることはいうまでもない。しかして精神的損害については、個々の患者の病状の程度、発病の時期、病状の推移、合併症の有無、発病時の年令、性別、健康状態、生活状態等を、財産的損害については、個々の患者ごとに職業、収入額、労働能力喪失の有無とその程度、稼働可能年数、就労の可否等をそれぞれ基準として実態に相応する金額を個別的かつ具体的に算出することも自明の理である。

しかして、かりに逸失利益などの財産上の損害を慰謝料に包含させて請求することが許されるとしても、かかる請求は、実質上財産上の損害の請求をも伴なうものであるから、その場合には、狭義の慰謝料算定上考慮すべき諸事情のほか、財産上の損害算出に必要な前述の諸事情を基準として、実態に相応する金額を個別的かつ具体的に算定すべきことはいうまでもないことである。

なお、新潟水俣病損害賠償請求事件における新潟地裁判決では、患者の症状を、

(a)ランク患者

他人の介助なしには日常生活を維持することはできず、死にも比肩すべき精神的苦痛をうけているもの

(b)ランク患者

日常生活を維持するのに著しい障害があるもの

(c)ランク患者

日常生活は維持できるが軽易な労務に服することができないもの

(d)ランク患者

服することができる労務が相当程度制限されるもの

(e)ランク患者

軽度の水俣病症状のため継続して不快感を遺しているもの

の五段階に分類し、各ランクごとの慰謝料額を、(a)ランク一〇〇〇万円、(b)ランク七〇〇万円、(c)ランク四〇〇万円、(d)ランク二五〇万円、(e)ランク一〇〇万円とし、これに各患者の個別具体的事情を検討のうえ、適宜、原則的な右慰謝料額を修正し、個別の慰謝料額を算定しているのであり、かりに一審原告らが水俣病に罹患しているとしても、その症状はあるかないかの極めて軽微なものであるから、損害額の算定に当つては、一審原告からの具体的事情も考慮すべきである。

9  亡中島親松が昭和五五年一〇月二二日死亡したことは認めるが、亡中島親松の相続人に関する主張は争う。現状では亡中島親松の承継人関係は未だ明確でないというべきである。

第三<省略>

理由

第一  当事者

一審被告は肩書地に本店を置く総合化学工業会社であつて、水俣市野口町にある一審被告会社水俣工場において、アセチレンから水銀触媒を用いてアセトアルデヒドを合成するなど有機合成化学製品を製造しているものであることは当事者間に争いがない。

一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚は水俣病に罹患していると主張し、亡中島親松(当審係属中死亡)は水俣病に罹患していたと主張されているものであるが、<書証>によれば、一審原告竹本己義と同竹本厚子、同岩崎岩雄と同岩崎カヲリ、同岡野貴代子と同岡野正弘、同緒方覚と同緒方サチ子はそれぞれ夫婦であり、亡中島親松と一審原告中島ツヤは夫婦であつたもので、亡中島親松訴訟承継人松下チヨミ、同中島光雄、同中島孝治、同坂口スミ子、同灘岡とも子はいずれも亡中島親松の子であることが認められる。

なお、<証拠>によると、一審原告竹本己義は昭和四八年六月六日、同岩崎岩雄は同四九年八月一六日、同岡野貴代子は同四八年八月三日、同緒方覚は同四八年一〇月一五日、亡中島親松は同四九年一〇月二八日、いずれも水俣病の認定申請(公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法第三条一項に基づくもの)の棄却処分を受けていること、しかし、一審原告竹本己義は、更に、同五八年一〇月二二日、同岩崎岩雄は同五二年六月二四日、同岡野貴代子は、同五二年五月七日、同緒方覚は同五一年三月一〇日再度水俣病認定申請(公害健康被害補償法第四条第二項に基づくもの)をなし、同竹本己義は検診未完了で審査会の審査が未了、同岩崎岩雄は四回にわたつて審査がなされたが、審査会は、わからない(要観察)の答申をなし認定処分留保中であり、同岡野貴代子は検診がくり返されているが審査会の答申が留保中であり、同緒方覚については二度目の認定申請も同五五年一月二五日熊本県知事により棄却され、これに対する異議申立も棄却されたので、同五七年八月二日第三回目の認定申請をなしていること、亡中島親松は同五〇年一二月一九日二度目の認定申請をなしたが、これも棄却されたので、更に、同五四年六月一四日三度目の認定申請をなしたものの、その処分がなされる前に死亡したので、一審原告中島ツヤが改めて亡中島親松につき同法第五条一項の認定申請をして、同五七年一月八日鹿児島県知事により棄却されていることが認められる。

第二  水俣病の発生と主要症状および

一審被告の責任

右についての当裁判所の認定判断は、原判決の理由中の「第二水俣病の発生とその症状」(原判決C5頁三行目からC21頁九行目まで)「第三被告の責任」(原判決C21頁一〇行目からC26頁六行目まで)と同一であるから原判決理由冒頭の「書証の成立とその引用について」と原判決の別紙(四)書証目録を含めて(以下原判決引用の場合は「書証の成立とその引用について」と右別紙(四)書証目録を含むものとする)これを引用する(ただし、原判決C19頁三行目および六行目に「鳥巨野」とあるのを「鳥距野」と、同三行目に「中心前回」とあるのを「中心前回、後回」と各訂正する。)。

第三  水俣病の病像について

一  症状出現の多様性

右についての当裁判所の認定判断は、次のとおり付加するほか、原判決理由中の「第四、一症状出現の多様性」(原判決C26頁七行目からC39頁末行まで)のとおりであるからこれを引用する(原判決C29頁末行に「五表」とあるのを「六表」と、C35頁二行目に「鳥巨野」とあるのを「鳥距野」と、C38頁一〇行目および一四行目に「索引」とあるのを「けん引」と訂正する。)。

1  原判決C26頁一一行目に「乙第四号証の三」とある前に「同第三九〇号証、同第四五八号証の六、七、」と加え、同一三行目から末行にかけて「甲第二六号証の一、二、第二七号証の一、二、証人武内忠男(第一回)」とあるのを「甲第一八号証の一、二、同第二六号証の一、二、同第二七号証の一、二、同第三五号証の一、二、同第四八三号証の一ないし三、原審証人武内忠男(第一回)、同原田正純(第一、二回)、当審証人白木博次」と改める。

2  原判決C28頁二行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「他方、新潟大学椿教授らが、新潟において水俣病とされた軽症の患者二六例につき症状を分析し出現頻度をみた結果は、別紙(五)表の「新潟」欄記載のとおりであつて、前記熊大徳臣教授らが水俣病患者のうち成人三四例につき報告した症状分析の出現頻度とかなりの差異があることが明らかで、典型的な水俣病患者にみられる症状の出現頻度と軽症例にみられる症状の出現頻度とは異なつている。」

3  原判決C35頁三行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「そして熊大武内教授らは、病理解剖的所見と臨床症状から水俣病の全体像を別紙(六)の図の如く富士山の形態にたとえ、

第1は、メチル水銀摂取量が多くて急性発症し、一〇〇日以内に死亡した例で最重症例であり、山頂の死者の群の部類に当る。

第2は、辛じて死をまぬがれはしたものの大脳皮質が広範囲に強い障害を受け、もちろん小脳障害も加わつているが失外套症候群を呈して、いわゆる植物人間として生存しているに過ぎない重症グループである。

第3は、徳臣の臨床的分類で名付けた慢性刺激型および慢性強直型である。水俣病症状は備えているが、経過のうちに重症となつたものである。病理学的に定型的病変がある。

第4は、ハンター・ラッセル症候群ないし水俣病症候群をもつた普通型の定型的水俣病のグループに属するものである。このグループに入る者の病変は、定型的水俣病病変をもつが、比較的障害局在性が判然としていて、局在性以外の大脳皮質の病変は比較的軽いのが特徴である。

第5は、臨床症状が症候群として整つておらず、蓄積水銀量も少ないと考えられるグループに属するもので、多くは急性軽症者や慢性発症したと考えられるグループで、いわゆる不全型のものである。病理学的にはかなりの幅があり、軽い定型的病変は証明しうるが、大脳皮質の好発局所の神経細胞の間引脱落が主で、小脳顆粒細胞脱落も比較的に軽く、時には、いわゆる尖頭瘢痕を深部脳回に証明しうる程度の軽いものまである。末梢神経ことに知覚神経の障害と電子顕微鏡的に特徴ある所見も確認されねばならない。

第6は、他の脳神経疾患でマスクされて水俣病症状が臨床的に把握できない症例である。このグループは病理解剖によつてのみ、その脳神経疾患と水俣病病変の共存により理解されるものである。われわれの経験では脳血管性障害および脳梅毒によつてマスクされていたものが多い。

第7 略(特殊型、胎児性水俣病など)

第8は、きわめて軽症の水俣病で、知覚障害と二、三の臨床症状があるのみで、疫学が重要な診断を決定づける椿教授らの軽症例に該当するものである。病理学的には末梢神経の特徴ある病変と脳皮質におけるグリオーゼが主体となる病変である。

としている。

また、熊大原田正純助数授も、水俣病とメチル水銀汚染量との関係を別紙(七)の図のとおり模式化し、きわめて急激に大量に汚染された場合、急激に広汎性に脳や全身に重篤な障害がおこり、麻痺、意識障害、痙攣などがみられ死に至る。この場合は、水俣病特有の症状群はむしろ確認できにくい、水俣病が古典的メチル水銀中毒症の特有な症状をそろえるのは急性の激しい重症例よりやや軽い程度の例である。それよりさらに低濃度の汚染の場合や長い経過をとる場合(慢性中毒)は、症状は次第にそろわなくなり、不全型となり、あるいは非典型化し軽症化するであろう。さらに低い汚染の場合、水俣病の特有症状は不明瞭化し、一般的疾患(非特異性疾患たとえば肝臓障害や高血圧など)と区別できないレベルでのメチル水銀の影響が考えられる。今日慢性型の水俣病がわずかに明らかにされてきたといつてもなお氷山の一角であることに変わりない、という見解を発表している。」

二  有機水銀の汚染の広がり

右についての当裁判所の認定判断も次のとおり付加訂正するほか、原判決理由中の「第四、二 有機水銀汚染の広がり」(判決C40頁初行からC60頁末行まで」のとおりであるからこれを引用する(ただし、原判決C52頁九行目に「甲第二八号証」とあるのを「甲第二八号証の一、二」と訂正する。)。

1  原判決C52頁九行目の「同第一四〇号証」の次に「同第四八六号証、」を加え、同C52頁一一行目の「同第一六二号証」の前に「同第一五九号証、」を加える。

2  原判決C54頁六行目から八行目にかけて「昭和五三年四月四日までに認定された水俣病患者総数は熊本県関係一一六六名(うち死亡二二三名)、鹿児島県関係二〇七名(うち死亡二二名)」とある後に「、同五六年九月三〇日までに認定された水俣病患者総数は熊本県関係一四六四名(うち死亡四二一名)鹿児島県関係(但し、鹿児島県関係は同年九月一一日現在)が三一一名(うち死亡四一名)で合計一七七五名」を加える。

3  原判決C58頁一二行目と一三行目との間に次のとおり挿入する。

「メチル水銀で環境を汚染された住民には、物忘れ、計算しにくい、考えるのがむづかしい、体がだるい、つかれやすい、手足に力がはいりにくい、力が弱くなつた、頭痛、頭重、しびれ感、根気がない、仕事が永続きしない、体の筋肉がピクピクする、眠られない、ぐるぐるまわるような目まいがする、テレビ、ラジオ、人の声がききとりにくい、目がつかれやすい、遠くのものがよくみえない、物が二重にみえる、つまづきやすい、字がうまく書けない、手がふるえる、手が思うように動かない、ボタンかけがしにくい、肩こり、腰痛、においがよくわからない、かもいなどに頭をぶつけやすいなど、極めて多彩な自覚症状がみられ、通常これらの個々の症状は他の疾病のときにもみられるもので水俣病に特有のものではないが、右の自覚症状は対象地区に比し汚染地区では出現頻度が高く、水俣病の症状と関連するものであることが指摘されている。」

三  水俣病は動脈硬化をおこすほか、全身の臓器を障害する旨の一審原告らの主張について、

当審証人白木博次(元東大病理学教室教授)の証言によると、経口摂取されたメチル水銀は全身の臓器、血管を循環するものであつて、水俣病患者の剖検例で腹部臓器に高濃度のメチル水銀顆粒がみられることが実証されていること、水俣病の臨床および病理を研究する学者によつて、水俣病の臨床症状を有する患者に膵臓障害による血糖値の上昇例、水俣病患者の剖検に膵臓のランゲルハンス氏島の脱落を観察した例が発表されていることが認められるほか、同証人は水俣病罹患の子供にも脳動脈、心臓の冠動脈、腎臓の腎動脈に硬化がみられ、メチル水銀が一次的に直接脳動脈等を侵襲したか或は全身の代謝異常を来すことによつて二次的に病変を来したかはともかく、動脈硬化症等を起すと考えなければその原因が考えられず、猿にエチル水銀を注射し、オートラジオグラムによるエチル水銀の分布を調べた実験結果も有機水銀が動脈硬化症を来すことを裏付けている旨供述している。そして、有機水銀が、大脳皮質、小脳、末梢神経を侵襲する病理機序は未だ明らかでなく、障害個所の選択的好発局在性の原因も不明であつて、有機水銀が動脈その他の全身の臓器の病変と全く無関係であるとは断じられず、一次的か或は代謝異常を介して二次的にかはともかく、動脈、全身の臓器に障害を来す可能性は否定しきれないというべきである。

しかしながら、

(1)  <証拠>、原審証人武内忠男の証言(第一回)によると、熊大武内教授は病理学教室の教授として多数の水俣病患者の病理解剖をなしているが、水俣病の病変は一般臓器よりも神経系に主として現われる点に特異性が存在し一般臓器の病変については特徴的な所見の把握は困難である、水俣病患者にみられる脳動脈硬化症は脳実質が障害されたために脳が萎縮する結果、脳血管の内腔も狭くなるので血圧が上り、これにひき続いて動脈硬化症が起るものでメチル水銀中毒により直接動脈硬化を来すものとは考えられない。子供の心臓の冠動脈、腎臓の腎動脈に動脈硬化がみられる例は人工栄養による動脈内腔の肥厚によるものであろうとしている。そして更に、その論文に「水俣病患者の直接死因に血管障害によるものがあり、脳血栓症、脳出血、および心筋栓塞が全体の約一七パーセントにみられている。これら血管障害が直接死因となつた症例はいずれも、年齢相応の動脈硬化症があり、いわゆるageingが重要な因子となつている。したがつてこれらが水俣病の続発症だという証拠にはならないし、また頻度も高くない。白木は水俣病剖検例のうち小児例においても動脈硬化症を証明することができており、また、血糖上昇の記載や膵臓ランゲルハンス氏島B細胞障害の事実があることを考慮し、メチル水銀中毒による血管障害もありうることを類推せしめる。これを事実だとすれば、水俣病の際の血管障害に伴う死因を無視しえないが、今回の剖検例の検討からは水俣病の際に直接死因となつた血管障害を水俣病によつて惹起されたとみるほどの成績は把握しえなかつた。この問題は依然として今後に残された課題である」とも記述していること、

(2)  <証拠>前記武内証人の証言によると、一般の生活者でも極く幼児期から動脈硬化病変がみられ、人工の高栄養によるものと考えられるとする研究報告もあること、

(3)  前記白木証人は、有機水銀が動脈硬化症を来す旨の自己の所説につき、アメリカの著名な病理学者であるワシントン大学ショウ教授、同じくノースカロライナ大学クリグマン教授が支持している趣旨の証言をしているものの、甲第四七四号証の一、二、同第四七五号証によると、ショウ教授は、自から行つた猿に対するメチル水銀投与実験の結果脳の血管に病変を来した猿の解剖所見につき、要するに、脳血管の硬化性病変は、大脳皮質の萎縮に伴つて生ずるとの見解を述べ、またクリグマン教授はその著作における記述において、白木証人の論文のみならず、ショウ教授の論文をも引用しているが、要するに、水俣病患者の例に脳血管病変も観察されるが、その意義は明瞭でないとしているにとどまつていること、

(4)  <証拠>によると、鹿児島大学井形教授は、水俣市に近い鹿児島県側の不知火海沿岸住民約八万名を対象にして昭和四六年から同四九年にかけて一斉健康調査を行いその調査結果を統計的に分析し「眼底動脈硬化度が直接有機水銀に影響をうけ水俣病症状と並行関係にあるという事実はみられなかつた‥‥先に報告した方法で脳卒中発作と水俣病との間には関連がないことを確めており、少くともメチル水銀が動脈硬化を促進するという積極的な根拠は得られなかつた」旨、多変量解析における水俣病の診断と題する論文において発表し、更に、同教授らは、水俣病群と非水俣病群とに分けて、水俣病と血圧との関係を調査し「臨床的にみる限り、現在出水地方に在住する慢性水俣病患者で高血圧および脳動脈硬化症は水俣病らしさと平行関係にはなく、これが水俣病症状の一部となす事を積極的に支持する成績は得られなかつた」旨、有機水銀中毒と脳血管性障害と題する論文において報告していること、

(5)  乙第七七、第七八号証の各一ないし三によると、それぞれ熊本県および鹿児島県が昭和五七年の各県における出生、死亡等の人口動態統計をまとめたもので、その中では各保健所の管轄する市町村ごとに、人口、死亡者総数、死亡原因を調査、分類しているが、これによれば脳血管疾患、脳出血、高血圧、糖尿病はメチル水銀汚染の影響をうけている地域が非汚染地域に比べてより多いという徴候はみられないこと、

以上の証言や所説などに徴すると、ハンター・ラッセルはその論文(甲第四七九号証)において、二三才で有機水銀に中毒し三八才で死亡した例に持続性の高血圧があつたこと、その病理所見として冠動脈の硬化症、肝、脾、腎の背圧性のうつ血、心臓左心室の広汎な断血性の瘢痕形成を記述していることも認められるものの、メチル水銀が直接一次的に動脈硬化をおこすほか、全身の臓器を障害するということは、臨床的にも病理学的にも未だ定説とされていない仮説にとどまつているものというべきである。

もつとも、メチル水銀による脳実質の損傷、萎縮に伴い二次的にその周辺に脳動脈硬化が生じ、これに基づいて高血圧を来すことは武内教授の前述の証言およびショウ教授の所説によつて認められるところであるが、メチル水銀による大脳皮質の障害については鳥距野、中心後回、中心前回、横側頭回など一般に選択的好発局在性が認められるのであるから、メチル水銀による脳動脈硬化の部位もおのずから局在性による特徴がみられ、メチル水銀が直接一次的にその部位を問わず脳動脈硬化病変を来すというのとは病理学的所見を異にすることは明らか(ただし、急性劇症型の場合には、大脳皮質が広範囲に障害されて脱落し選択的好発局在性が不明瞭となる。)であり、剖検においてはメチル水銀による動脈硬化病変であるか否かの手がかりとなるということができる。後記亡中島親松の病理解剖の所見もこのような観点から考察さるべきである。

そして、メチル水銀が動脈や全身の臓器を直接侵襲することが否定できず、動脈や臓器に一次的に何等かの病変をもたらすものであるとしても、メチル水銀中毒は障害個所の選択的好発局在性があり、神経系がその好発局所であることは否定の余地がないものであるから、臨床的にも、病理的にも神経系に障害、病変が認められないで単に動脈硬化や腹部臓器に病変が認められるだけでは、疫学条件が高度であつてもメチル水銀中毒によるものとは言えないと言うべきである。

四  水俣病の病像とその認定

以上認定判断したところによると、水俣病は一審被告工場におけるアセトアルデヒド製造工程内で生成されたメチル水銀が工場廃液に含まれて排水され、水俣湾の魚介類を汚染し、メチル水銀を保有する魚介類を経口摂取したことにより惹起された中毒性の神経系疾患である。そして汚染魚介類摂取の量、その期間、メチル水銀体内蓄積の量、各個人のメチル水銀に対する感受性の個体差などにより、メチル水銀中毒の病型、症状は多様多彩で、死に至る重篤な急性劇症型もあれば四肢の知覚障害、求心性視野狭窄、運動失調、構音障害、難聴などいわゆるハンター・ラッセル症候群の典型的な症状のすべてないしはそのいくつかを具備した普通型で症状の重いものから、その症状は日常生活上不快感を伴うに過ぎない極めて軽度でその症状の存否自体の判別が困難な慢性不全型にまで及んでいるが、水俣病の一般的な臨床症状としては、知覚障害、運動失調、言語障害、聴力障害、平衡機能障害、求心性視野狭窄、視野沈下、眼球運動異常、脱力、振戦、反射異常、筋萎縮、味覚障害、意識障害発作、精神症状、知能障害、自律神経症状などがあり、多く前叙認定の自覚症状を伴つているものであるということができる。

ところでメチル水銀中毒の典型的な症状としての四肢の知覚障害、求心性視野狭窄、構音障害、運動失調、難聴はハンター・ラッセル症候群として高率に認められる典型的症状であるから、メチル水銀で汚染された水俣湾産の魚介類を摂取したものが、ハンター・ラッセル症候群の典型的症状のほとんどを具備している場合は水俣病であると認定しうることは言うまでもないが、ハンター・ラッセル症候群ないし水俣病に通常みられる臨床症状も、これを個々的にみればメチル水銀中毒の症状として特異的なものではなく、四肢の知覚障害、求心性視野狭窄、構音障害などにそれなりの特徴的な点がみられるものの、他の疾患によつても生じうる症状であるから、疫学的条件があつてハンター・ラッセル症候群といわれる症状の一つがあるからと言つて水俣病であると一概に断ずることはできない。しかし、メチル水銀中毒症状としての知覚障害は極めて高頻度で発症をみるものであるから、これに他のハンター・ラッセル症候群の症状が組み合わさつている場合は事実上水俣病と推定するのが相当であるだけでなく、四肢の知覚障害でも遠位部優位の手袋、足袋様の知覚障害は、頸椎変形症による場合との判別困難な例がないではないが、極めて特徴的な症状であるので、このような知覚障害の診断所見しか得られない場合も、当該患者の家族に水俣病症状が集積し疫学条件が極めて高度と認められれば、右症状が他の疾患に基づくことの反証がない限り水俣病と事実上推定するのが相当であり、高度の蓋然性を以て水俣病と認定できたものというべきである。勿論、四肢の知覚障害がなければ、水俣病と認定できないものではないし、メチル水銀による障害部位の選択的好発局在性から、四肢の知覚障害に他の症状が組み合わさることが多いことはいうまでもない。そして他の疾患に基づくことの反証の程度としては、当該患者のすべての症状が、専ら、他の疾患によるものと疑わしめるに足るものであればよいものと考える。

五  水俣病認定制度と昭和五二年の環境庁の判断条件

<証拠>を総合すれば、次の1ないし5の事実を認めることができる。

1認定制度の発足と初期の認定状況

昭和三四年一二月三〇日一審被告と水俣病患者家庭互助会とが締結した見舞金契約で水俣病の認定という言葉が初めて用いられた。この見舞金契約は熊本県知事、県議会議長、水俣市長らを委員とする不知火海漁業紛争調停委員会の斡旋を右互助会が受け入れたことにより成立したものであるが、その見舞金契約第三条には「本契約締結日以降において発生した患者(協議会が認定した者)に対する見舞金については甲(チッソ)はこの契約の内容に準じて別途交付するものとする。」とされ、右締結の五日前に見舞金を受けるべき患者とそうでない患者とを選別するため、厚生省管轄の水俣病患者診査協議会が設置された。その後、昭和四四年一二月公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法が公布施行されて公害被害者認定審査会が設置され、更に公害健康被害認定審査会に改組され現在に至つているが、そこにおける認定も補償に直結する性格は変らなかつた。そのように、補償と直結していた当初の水俣病の概念が右見舞金契約に基づいて見舞金を受給しうる資格があるか否かを目的としたため、治療を目的とした水俣病の概念より狭い概念であつたことは否めなかつた。もともと、認定制度発足以前に患者と診断された者は原因究明段階に集められた急性劇症型の典型的患者であり、昭和三一年から同三四年まで合計七九名に過ぎなかつたのに認定制度発足後の認定者の数は別紙(八)の「認定者数」欄記載のとおり更に減少し、同三五年から同三九年まで二八名にとどまつたのであるが、大半が胎児性水俣病であつたから一般の水俣病の認定が極めて稀であり典型的なハンター・ラッセル症候群が水俣病の基準とされ、当時は、水俣病はハンター・ラッセル症候群そのものであるように受けとられてきた。

2昭和四六年環境庁事務次官通知と昭和五二年の環境庁の判断条件

昭和四五年熊本県知事から認定請求を棄却された申請者らが行政不服審査法に基づき環境庁長官に対し審査請求を行つたが、昭和四六年八月七日環境庁長官は現地調査にもとづき申請者らを水俣病でないとして棄却した熊本県知事の処分を取消す裁決をなした。そして右裁決と同日、環境庁事務次官は「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について(通知)」と題する通知(以下「四六年事務次官通知」という)を発したが、右通知には冒頭に公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法は、公害に係る健康被害の迅速な救済を目的としているのであるが、従来、法の趣旨の徹底、運用、指導に欠けるところがあつたことは当職の深く遺憾とするところであり、水俣病認定申請棄却処分に係る審査請求に対する裁決に際しあらためて法の趣旨とするところを明らかにし、もつて健康被害救済制度の円滑な運用を期するものであるとし、「水俣病の認定要件」を次のとおり示した。

「(1) 水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起る神経疾患であつて次のような症状を呈するものである。

(イ) 後天性水俣病

四肢末端、口囲のしびれ感にはじまり言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴などをきたすこと。また、精神障害、振戦、痙攣その他の不随意運動、筋強直などをきたす例もあること、

主要症状は、求心性視野狭窄、運動失調(言語障害、歩行障害を含む)、難聴、知覚障害であること、

(ロ) 胎児性または先天性水俣病(略)

(2) 上記(1)の症状のうちのいずれかの症状がある場合において当該症状のすべてが明らかに他の原因によるものであると認められる場合には水俣病の範囲に含まないが、当該症状の発現または経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められる場合には、他の原因がある場合であつても、これを水俣病の範囲に含むものであること、

なお、この場合において「影響」とは、当該症状の発現または経過に、経口摂取した有機水銀が原因の全部又は一部として関与していることをいうものであること、

(3) (2)に関し、認定申請人の示す現在の臨床症状、既往症、その生活史および家族における同種疾患の有無等から判断して当該症状が経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを否定しえない場合においては、法の趣旨に照らしこれを当該影響が認められる場合に含むものであること、

(4) 法第3条の規定に基づく認定に係る処分に関し、都道府県知事等は、関係公害被害者認定審査会の意見において認定申請人の当該申請に係る水俣病が、当該指定地域に係る水質汚濁の影響によるものであると認められている場合はもちろん、認定申請人の現在に至るまでの生活史その他当該疾病についての疫学的資料から判断して当該地域に係る水質汚濁の影響によるものであることを否定し得ない場合においては、その者の水俣病は当該影響によるものと認め、すみやかに認定を行なうこと。」

右昭和四六年事務次官通知に基づく熊本県および鹿児島県の水俣病の認定審査の運用の結果、別紙(八)、同(九)表のとおり、水俣病の認定患者は逐次増加し始め、昭和四八年度に最高の認定数を記録したが、その後は漸減に転じ、昭和五三年からは認定申請棄却が著しく増加することとなつた。

3水俣病被害者の会と一審被告の協定

昭和四八年一二月二五日水俣病被害者の会と一審被告との間に、別紙(十)の協定書(改訂分は省略)が締結された。右協定書によると、水俣病認定申請患者が水俣病と認定された場合、同人が希望する限り、右両者間に締結された協定書に基づき、現在までの水俣病による死亡者およびAランクに格付けされた者は、慰謝料として一八〇〇万円、Bランクに格付けられた者は慰謝料として一七〇〇万円、Cランクに格付けされた者は慰謝料として一六〇〇万円の各金員のほか附帯の利子および各ランクに応じて定められた所定金額の手当の支給を受けうるものとされている。ところで、この協定より先の昭和四八年三月二〇日、熊本地方裁判所で言渡された第一次熊本水俣病損害賠償請求訴訟第一審判決は、同事件原告患者らの水俣病による被害程度のランク付けはしていないが、その損害額を死亡者本人の慰謝料として一律一八〇〇万円、生存患者の慰謝料として概ね一八〇〇万円、一七〇〇万円。一六〇〇万円と算定しているが、右訴訟の原告らは、すべて水俣病に罹患していることに争いがなく有機水銀中毒患者としての典型的ないしこれに準ずる症状を有していた者か、剖検の結果水俣病患者として死後認定を受けたものなどであつた。そして、前記昭和四六年事務次官通知の水俣病の認定要件に基づく水俣病の認定審査の結果、昭和四八年度には水俣病認定患者が著しく増加し、一審被告が前記協定書に基づいて、水俣病認定患者に対して支払うべき補償金の額も著しく増大し、一審被告の経営を圧迫することとなつた。

4昭和五二年の環境庁の判断条件

しかし第三水俣病問題(天草郡有明町に水俣病患者が発生しているか否かの問題)を契機とし、水俣病認定患者の増加に伴つて一審被告が支払うべき補償金が逐次増大したこともからんで、昭和四九年頃から水俣病認定における判断条件の再検討が強まり、環境庁は、熊本、鹿児島および新潟の審査会の現委員および元委員の主だつた者に水俣病の判断条件の検討を委嘱した。そのような時に、熊本県知事は昭和五二年五月三一日環境庁長官に対し水俣病認定業務促進に関する要望書を提出し、大要次のような措置を要望した。「(1) 水俣病認定業務は一県の能力をはるかに超えているので国で直接処理すること、(2) (1)の要望事項実現までの間に(1)の審査、認定基準の明碓化、(2)「わからない」と答申された事例の基準の明確化、(3) 国の上級審査機関の設置、(4) 検診業務の促進のための常駐医の派遣、県外における検診窓口の整備、病理解剖の体制整備など、(5) 認定申請者の医療制度の確立、(6) 水俣現地に国の出先機関を設置すること、(7) 補償協定による加害企業の民事責任の履行にあたつて当該企業の経営状態等がその重大な障害となることのないよう適切な措置を講じられるとともに、今後、当県が水俣病問題を処理していくに当つて、いかなる財政負担を必要とする事態が生じた場合であつても、絶対に当県に対し過大な負担をかけない措置をとることを確約されたいこと」、これに対し昭和五二年七月一日、環境庁長官は、熊本県知事に対し「水俣病対策の推進について(回答)」と題する書面において、前記審査基準の明確化および「わからない」とされている事例の取扱方の要望について環境庁では医学の関係各分野の専門家による検討を進めてきたところであるが、今般その成果を後天性水俣病の判断条件としてとりまとめたとして、次のような内容の「後天性水俣病の判断条件について」(以下「昭和五二年の判断条件」という)と題する書面を添付して回答した。

「1 水俣病は魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起る神経疾患であつて、次のような症状を呈するものであること、

四肢末端の感覚障害に始まり、運動失調、平衡機能障害、求心性視野狭窄、歩行障害、構音障害、筋力低下、振戦、眼球運動異常、聴力障害などをきたすこと。また味覚障害、嗅覚障害、精神症状などをきたす例もあること。

これらの症候と水俣病との関連を検討するに当つて考慮すべき事項は次のとおりであること。

(1) 水俣病にみられる症候の組合せの中に共通してみられる症候は四肢末端ほど強い両側性感覚障害であり、時に口のまわりまでも出現するものであること。

(2) (1)の感覚障害に合わせてよくみられる症候は、主として小脳性と考えられる運動失調であること。また、小脳・脳幹障害によると考えられる平衡機能障害も多くみられる症候であること。

(3) 両側性の求心性視野狭窄は、比較的重要な症候と考えられること。

(4) 歩行障害及び構音障害は、水俣病による場合には、小脳障害を示す他の症候を伴うものであること。

(5) 筋力低下、振戦、眼球の滑動性追従運動異常、中枢性聴力障害、精神症状などの症候は(1)の症候及び(2)又は(3)の症候がみられる場合にはそれらの症候と合わせて考慮される症候であること。

2 1に掲げた症候は、それぞれ単独では一般に非特異的であると考えられるので、水俣病であることを判断するに当つては、高度の学識と豊富な経験に基づき総合的に検討する必要がある。」、

そして有機水銀の曝露歴を有し、次の症候の組み合わせのあるものについて通常その者の症候は、水俣病の範囲に含めて考えられるものであるとした。すなわちその症候の組み合わせとは

「ア 感覚障害があり、かつ運動失調が認められること。

イ 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、平衡機能障害あるいは両側性の求心性視野狭窄が認められること。

ウ 感覚障害があり、両側性の求心性視野狭窄が認められ、かつ中枢性障害を示す他の眼科又は耳鼻科の症候が認められること。

エ 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつその他の症候の組み合わせがあることから、有機水銀の影響によるものと判断される場合であること」とした。

さらに、他疾患との鑑別については「他疾患の症候のほかに水俣病にみられる症候の組み合わせが認められる場合は、水俣病と判断することが妥当であること」、「症候が他疾患によるものと医学的に判断される場合には、水俣病の範囲に含まれないものであること」、「症候が他疾患の症候でもあり、また、水俣病にみられる症候の組み合わせとも一致する場合は個々の事情について曝露状況などを慎重に検討のうえ判断すべきであること」とする判断条件を示した。

そこで示された判断条件は同日付で環境庁企画調整局環境保健部長から各関係機関に対して今後の認定業務の推進にあたり参考とされたいとして通知された。

5熊本県の県債発行

昭和五〇年以降一審被告は業績不振で水俣病認定患者に対する補償金の支払も困難となつて来たが、昭和五三年六月政府は「水俣病対策について」という閣議了解事項を発表し、熊本県が一審被告に対し県債を発行して金融支援を行うことを決めた。熊本県が一審被告に対し昭和五三年以降同五八年までに貸付けた金額は二三六億四四〇〇万円に達し、県債による一審被告に対する金融支援がはじまつた昭和五三年度以降の水俣病患者等に対する補償累計額は二六九億五五〇〇万円(補償金支払累計総額は五六三億九八〇〇万円)で県債による肩替り分は八七・七パーセントに達している。

6原審証人野津聖の証言によると、昭和五二年の判断条件は、昭和四六年事務次官通知に示された水俣病認定の認定要件(以下「昭和四六年の認定要件」という)を踏まえ、水俣病認定業務に資するための条件を示したまでのことであるとの行政当局の説明ではあるが、昭和四六年の認定要件の是非はともかくとして、昭和五二年の判断条件は、昭和四六年の認定要件が水俣病にみられる主要症状としての求心性視野狭窄、運動失調、難聴、知覚障害のうちのいずれかの症状があればよいとしたものを、水俣病にみられる症状は、一般に感覚障害に運動失調、求心性視野狭窄など中枢神経系障害の症状が複数組み合わさつて発症をみることが多いとして、感覚障害に他の症状が複数組み合わさつていることを水俣病の症状として要求する内容のもので、少くとも認定審査の運用上水俣病の認定要件をきびしくしたものということができる。

7以上認定したところによると、前記協定書による協定は、その成立の時期、補償金額からして極めて軽微で不全型の水俣病症状を有するものが、審査会において水俣病として認定されることを予想していなかつたものと思料される。しかるに水俣病の病像は前叙のように典型的なハンター・ラッセル症候群ないしこれに準ずる症候を備えたものだけにとどまらず、極めて軽微で症状の把握も困難な慢性不全型にまで及んでいることが次第に明らかになり、水俣病の病像は極めて広範囲のものとなつた。しかし審査会における水俣病の認定と前記協定書による補償金の支払が直結(認定を受けた患者の希望による)していて、軽微な水俣病症状のものが、水俣病と認定されると補償金の受給の点では必ずしも妥当でない面があるのは否めないのであつて、昭和五二年の判断条件は、いわば前記協定書に定められた補償金を受給するに適する水俣病患者を選別するための判断条件となつているものと評せざるを得ない。従つて、昭和五二年の判断条件は前叙のような広範囲の水俣病像の水俣病患者を網羅的に認定するための要件としてはいささか厳格に失しているというべきである。要するに、昭和五二年の判断条件が審査会における認定審査の指針となつていて、審査会の認定審査が必ずしも公害病救済のための医学的判断に徹していないきらいがあるのも、前記協定書の存在がこれを制約しているからであつて、少くとも前記協定書に、極めて軽微な水俣病の症状を有するものも水俣病として認定されることを予測し、その症度に妥当する額の補償金の協定が定められていたのであれば、審査会における水俣病の認定審査も水俣病の病像の広がりに応じてそれなりの対処ができたものと思われる。

右の点について、<証拠>によると、新潟大学椿教授は環境庁が昭和五二年の判断条件をとりまとめるに当つて委員として関与したのであるが、同教授は「水俣病の診断に対する最近の問題点」と題する論文において、新潟水俣病の診断について著者の迷いを率直に告白しなければならないとしたうえで「診断という医学的行為に基準をきめることは、自然科学的に決定されるように思われ勝であるが、実際にはそうではない。たとえば①ある目的の研究のためには、確実な症例を集めるために厳密な基準が必要であり、②また、疫学調査や診断一般には、過剰診断や寡少診断をなるべく少くし、正確な診断をするための基準が必要となる。さらに③公害病救済のため広い診断という考え方もあろう。この関係は表2と図1(省略)に示したごとくである。①と②の立場については医学的の基準は作成できるはずであるが、③の場合どこまで広げるかの医学的基準は存在しないのである。これが存在するかのごとく錯覚したため従来いくつかの混乱がおこつたと著者は考えている。さらに補償判定の場合、問題はさらに難しくなるであろう。」という見解を発表しており、この見解は、水俣病の認定に補償金の支払がかかわる場合その判断条件は補償金の支払との関係で定められることもありうることを示唆しているものとみることができる。

一審被告は、水俣病についての専門医学者の意見を総合的に集約した昭和五二年の判断条件は、本訴訟において、一審原告らが水俣病に罹患しているか否かの認定に当つて尊重すべきであると主張するが、前記のような理由で、一審被告の右主張は採用することができない。他方、一審原告らは、水俣病患者の損害は、一審被告の犯罪的行為によつて引きおこされた環境ぐるみの人間破壊に基づく社会的、経済的、精神的損害であつて、軽度の水俣病症状のものも水俣病である限り前記協定書に定められた補償金を下廻ることはないと強調するが、当該患者の症状が極めて軽微であれば、かかる軽微な症状の患者が前記協定書に基づいて補償金を受給するのは相当とは思われない。

第五  一審原告岡野貴代子、同岩崎岩男、同竹本己義、同緒方覚、亡中島親松が水俣病に罹患しているか、またはいたか否かについて(なお、鑑定人椿忠雄の鑑定の結果は「椿鑑定」と鑑定人原田正純の鑑定の結果は「原田鑑定」と略称する。)

一  一審原告岡野貴代子について

当裁判所も同一審原告は水俣病に罹患しているものと判断するが、その理由は次のとおり訂正、付加するほか、原判決理由説示のとおりであるから原判決C173頁八行目からC181頁一四行目までを引用する。

1原判決C178頁一四行目に「(椿鑑定、原田鑑定)」とあるのを「(椿鑑定)」と改める。

2原判決C180頁一四行目に「以上認定の事実によれば、」とあるのを「以上認定の事実および椿鑑定が、同一審原告には『感覚障害、運動失調ともに確実にあり、その他にもメチル水銀中毒にみられる症状がある。年令が若いのでこのような症状を示す他の疾患の入りこむ余地が殆んどない。……メチル水銀中毒症に罹患しているものと判断する。』との結論を、原田鑑定が同一審原告は『メチル水銀汚染による小児期の健康障害(水俣病)がある』との結論を、一致して示していることによれば」と改める。

3原判決C181頁一四行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「 一審被告は、水俣病の診断について多年に亘る知識と経験を有する専門医によつて構成された熊本県および鹿児島県の審査会の審査結果が尊重されるべき旨強調している。しかし乙第一五号証の一ないし七、原審証人武内忠雄(第二回)の証言によると、同一審原告は、医師佐藤千里作成にかかる『血管性頭痛の疑』と記載された昭和四七年五月三一日付診断書を添付して昭和四七年六月一日熊本県知事に対し水俣病の認定申請をし、その諮問を受けた熊本県審査会は、疫学調査の結果および一般内科、神経内科、眼科、耳鼻科、精神神経科の各検診による結果を総合して、第一七回審査会において同一審原告の場合、水俣病としての特別の所見が認められない、との結論に達し『水俣病ではない。又は有機水銀の影響は認められない。』との答申を行い、これを受けて同県知事は昭和四八年八月三日申請棄却の処分を行つたこと、右審査会は同一審原告につき神経内科学的には軽度の知能障害と右側下肢の深部知覚障害(位置覚障害)のみが一応は症状として認められるものの、この軽度の知能障害についてはメチル水銀との関連性は問題にならないものであり、右側下肢の深部知覚障害については、表在性の知覚障害が全く証明できないからこれはメチル水銀によつて惹起されたものと考えることはできないものとしていることが認められる。しかし、同一審原告は、前叙のとおり母および姉が水俣病認定患者であり、高度にメチル水銀に汚染されていることは明白であつて、前記椿、原田鑑定の結果と対比するとき、軽度知能障害についてメチル水銀との関連性は問題にならないとか、表在性の知覚障害が全く証明できないので右側下肢の深部知覚障害だけでメチル水銀によつて惹起されたものとは考えられないとして、メチル水銀が同一審原告に認められた症状の全部ないし一部の原因となつていることを否定することはできない。」

二  一審原告岩崎岩雄について

同一審原告も水俣病に罹患しているものと判断するが、その理由は次のとおり、付加、削除するほか原判決理由説示のとおりであるから原判決C162頁一〇行目からC172頁一三行目までを引用する。

1原判決C166頁一〇行目を削除する。

2原判決C171頁六行目に「以上の認定の事実によれば」とあるのを「以上の認定の事実および椿鑑定が同一審原告について『メチル水銀中毒症を否定し去ることは困難である』との結論を、原田鑑定が『疫学的事項を考えるとメチル水銀による健康障害(水俣病)が認められる。』との一致した結論を示していることによれば」と改める。

3原判決C172頁一三行目の次に行を改めて次のとおり付加する。

「 なお、乙第一四号証の一ないし一三、同第八二号証によると、同一審原告は、昭和四九年四月三〇日藤野糺医師の診断書を添付して鹿児島県知事に対し水俣病の認定申請をしたが、昭和四九年八月一〇日、一一日に開かれた第一九回審査会において、知覚障害(−)、運動失調(−)、構音障害(−)、振戦(+)、視野狭窄沈下(+)、眼球運動異常(+)、難聴(+)、脱力(上肢、下肢)(+)、片麻痺(−)、知能障害(±)、性格障害(−)、精神病状態(−)とされ、視野狭窄沈下は神経レベルで説明が可能であり、考えられる疾患名および合併症としては変形性頸椎症、中枢性顔面神経麻痺がある(もつとも、神経内科的所見の要約として、同一審原告には注目している時と、人がみていない時でかなり症状に差があり、心因性のニュアンスの記載もある。)として、結局『水俣病ではない。又は有機水銀の影響は認められない。』と判定され、鹿児島県知事はその旨の審査会の答申に基づいて昭和四九年八月一六日同一審原告の水俣病認定申請を棄却したことが認められ、症状のとらえ方自体において椿、原田鑑定と異つた点がみられるものの、椿、原田鑑定の結論を左右するに足るだけのより的確な検診資料に基づくものとは言い難い。そして同一審原告は昭和五二年六月二四日第二回目の水俣病認定申請をなし、神経内科、眼科、耳鼻科の各検診を受け、右検診に基づいて審査がくり返されているが、審査会は『わからない(要観察)』の答申をなしているに過ぎないことは先に認定したとおりであつて、審査会の審査資料中に、同一審原告に認められた症状のすべてが専ら他の疾病に原因することを疑わせるに足るものはない。」

三  一審原告竹本己義について

同一審原告も水俣病に罹患しているものと判断するが、その理由は次のとおり、付加するほか、原判決理由説示のとおりであるから、原判決C90頁五行目からC99頁六行目までを引用する。

1原判決C98頁三行目に「以上認定の事実によれば」とあるのを「以上認定の事実および原田鑑定が同一審原告に最低限手袋・足袋様の知覚障害があり、疫学的条件があるので他に脊椎変形、ヘルニアの存在があつても、メチル水銀による健康障害(水俣病)が認められると結論しているところによれば」と改める。

2原判決C99頁六行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「 もつとも、椿鑑定は、その結論においては、同一審原告が水俣病であるか否かにつき強いて判定を迫られればメチル水銀中毒は否定的であるとしているけれども、その結論の前段では『感覚障害を除いて所見に乏しい。視野も正常であり他覚的所見が殆んどない。しかし所見が全くない訳ではない。このような所見は一回の診察で判定することは困難である。症例によつて、症候が消えたり悪化したりすることがあるので、もう一、二回少しの時期を置いて観察すべきであろう。』としているのであり、同一審原告が水俣病に罹患していることを否定しているだけのものではないから、右認定を左右するものとは言い難い。」

四  一審原告緒方覚について

同一審原告も水俣病に罹患しているものと判断するが、その理由は次のとおり付加するほか、原判決理由説示のとおりであるから原判決C202頁八行目からC209頁二行目までを引用する。

1原判決C208頁七行目に「以上の認定事実によれば」とあるのを「以上の認定事実および原田鑑定が同一審原告は神経学的に軽症であるがメチル水銀による健康障害(水俣病)と考えられると結論しているところによれば」と改める。

2原判決C209頁二行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「 もつとも椿鑑定は、同一審原告について感覚障害(±)、運動失調(−)、言語障害(−)、筋力低下(−)、眼球運動異常(+)、聴力障害年令相当異常なしと鑑定し、同一審原告には水俣病の他覚的症候はおろかその他の神経疾患の他覚的神経症候も問題になるものが全くない。感覚障害も自覚的なものを別にすれば問題にならないし、視野も正常であると結論づけている。しかし、後記認定のように、同一審原告の二度目の水俣病の認定申請についての熊本県の審査会の昭和五三年一一月一日、同月二六日における検診では、四肢の感覚障害と軽度の下肢脱力、マン試験およびつぎ足歩行における軽い異常が認められていることに徴すると、同一審原告に四肢末端の知覚障害が認められるとする原田鑑定の鑑定結果を採用するのが相当である。

また乙第一六号証の一ないし一一、同第六四号証の一ないし一〇、同第八三号証、原審証人武内忠男の証言(第二回)によると、同一審原告は水俣病である旨の宮本医師の診断書を添付して昭和四七年五月二五日熊本県知事に水俣病の認定申請をなし、熊本県の審査会は各科で行つた検診資料に基づいて第一七回の審査会で審査したが、要するに視野に軽度の沈下が認められるが正常範囲であり、眼球運動に軽い運動障害が出ているが、アキレス腱反射が多少低下しているだけで、他に神経内科的所見がないから水俣病の所見としては意味がない、耳鼻科の検診による軽い難聴が認められるが軽い疲労があるようであるとして結論を保留し、神経内科で再検診のうえ振動覚低下が多少あるけれども、それは水俣病の際に見るような知覚障害を伴うものではなく水俣病の症状はないと判定し、この審査会の答申に基づいて熊本県知事は昭和五一年五月八日同一審原告の申請を棄却したこと、次いで同一審原告の二度目の水俣病の認定申請については、同審査会は第三八回審査会で『神経学的には四肢の感覚障害が認められるが、運動失調は認められない。眼科的にも正常である。耳鼻科的には聴覚疲労傾向があるがOKP(視運動性眼振検査)は正常である。以上を総合的にみて判断条件に該当しない。』との判定を下し、この答申に基づいて熊本県知事は同一審原告の二度目の認定申請も棄却したことが認められる。しかしながら、初回の認定申請における審査においては、眼球運動に軽い運動障害が出ているが、神経内科的所見がないことを理由に水俣病の症状はないと判定しているが、第二回目の認定申請における審査においては、同一審原告に初回の認定審査では認められなかつた四肢の感覚障害を認めているだけでなく、二度目の認定申請についての熊本県知事の棄却決定に対する同一審原告の異議申立に対し、同県知事はこれを棄却したが、その決定書の理由中には『神経学的には、昭和五三年一一月一日の検診において、四肢の感覚障害が、つづく同月二六日の所見では四肢の感覚障害のほかに軽度の下肢脱力、マン試験及びつぎ足歩行における軽い異常が認められたが、二度の検診を通じて運動失調は認められなかつた』との記載があり、二度目の認定申請における検診では、四肢の感覚障害のほかに少くとも軽度の下肢脱力、マン試験およびつぎ足歩行における軽い異常を認めているのであつて、不全型で軽症の水俣病患者には、ある水俣病症状は軽快消退する一方で、ある水俣病症状は遅発的に或は加令的に発症増悪することもありうることを考え併せると、同一審原告に認められた四肢の感覚障害が専ら他の原因に基づくことを疑わせるに足る反証はないから、二度目の認定申請における審査会の検診結果からだけでも、同一審原告にみられる高度の疫学条件や水俣病症状に関連する自覚症状からすれば、同一審原告は、前叙のとおり水俣病に罹患していると認めるのが相当である。二度目の熊本県の審査会の判定は、前記協定書に定められた補償金の支払を受けるのを相当とする程度に明確な水俣病症状すなわち昭和五二年の判断条件に適合した水俣病症状は認められない趣旨の判定というべきである。

(二) 一審被告は、要するに、一審原告緒方覚の二回目の水俣病認定申請に関する審査会の医学的判断の正当性につき熊本県審査会の審査委員である岡嶋透を証人として申請し、その採用決定を受けたところ、一審原告らの所属する水俣病被害者の会および他の五団体は、岡嶋透が証人として出廷し自由に証言することに圧力を加え、同人をして職務上種々の支障が生じることを懸念せしめるに至つたため一審被告としては同人に累を及ぼすことを危惧して已むを得ず証人申請の撤回を余儀なくされた。右の事態は民訴法第三一七条に準じ二回目の熊本県の審査会の結論を正当と認むべき事由に当る旨主張する。なるほど、一審被告は、昭和五六年一二月八日一審原告緒方覚に関する乙第六四号証の一ないし一〇の審査資料に基づく熊本県の審査会における審査内容を尋問事項とし岡嶋透を証人として申請して採用され、その尋問期日は一度変更されたのち、昭和五七年四月二三日に指定されていたが、一審被告が右証人申請に撤回したことにより右証人の採用が取消されたことが記録上明らかである。そして乙第八五号証の一ないし七によると、水俣病認定申請患者協議会、チッソ水俣病患者連盟などの六団体が証人岡嶋透、熊本県当局、熊本県の審査会に対し、審査委員で審査会の副会長である岡嶋透が、一審被告側証人として出廷することは、審査会が一審被告に加担するもので審査会としての公平を失するのであるとし、岡嶋審査会副会長の辞任、解任、証人申請取下等を迫つたこと、これに対し岡嶋透は証人として出廷せずに済ませる方向で検討することを右六団体に回答し、熊本県知事は岡嶋透審査会副会長が一審被告側の証人として出廷することは患者との信頼関係を深めていくことからすれば、出廷は好ましくない旨報道機関に公表したことなどが認められ、これに岡嶋透が当裁判所に対し証人として出廷することを断りたい旨申出た書面添付の書類を参酌すれば、一審被告が証人岡嶋透の証人申請を撤回するに至つたについては岡嶋透の個人的な心情や、県知事の右の如き公表を考慮しての事と推測される。いうまでもなく、その理由のいかんを問わず、証人ないし証人に影響を及ぼしうる機関に対し、証人が裁判所に出廷して証言をなすにつき、威圧となるような言動をすることは許されない事であつて、水俣病認定申請患者協議会等が岡嶋透等に対してなした要求は証人の出廷妨害となりかねないものといわざるを得ないが、一審原告緒方覚が水俣病認定申請患者協議会等六団体に前叙の如き要求をなさしめたとみるべき証拠はない。そして一審被告が岡嶋透を証人として立証しようとしたところのものは、熊本県の審査会の審査資料(乙第六四号証の一ないし一〇)について医学的専門的立場から補充説明を加え、裁判所の審査資料についての理解に便ならしめることにあつたと考えられ、一審被告の立証事項についての新たな証言を内容とするものではなかつたのであるから、一審被告が岡嶋透の証人申請の撤回を余儀なくされたからと言つて、民訴法第三一七条に準じ、或は信義誠実の原則により審査会の審査資料に示された結論、ひいては一審原告緒方覚が水俣病に罹患しているものではないとする一審被告の主張を真実と認めねばならない場合に当るとは言い難い。」

五  亡中島親松について

亡中島親松は水俣病に罹患していなかつたものと判断する。その理由は次のとおり付加、訂正するほか原判決理由説示と同一であるから、原判決C110頁七行目から120頁一一行目までを引用する。

1原判決C110頁八行目の「同第三八〇号証の一、二」の次に「同第四一四号証の一ないし五、同第四一五号証の一ないし一六、同第四五二号証」を加える。

2同C112頁末行に「五一名」とあるのを「一〇六名」と、同C114頁一三行目に「現在の症状」とあるのを「死亡前の症状」と改める。

3同C114頁一二行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「 昭和五五年一〇月二二日午後二時三五分出水市立病院で大腸癌、胃潰瘍、急性気管支肺炎(死亡診断書の記載は、胃潰瘍による消化管出血)により死亡した。満七三才であつた。遺体は同日鹿児島大学医学部第二病理学教室において後藤正道医師の執刀で病理解剖がなされ有機水銀中毒の病変が病理的に認められるか否かについて検索がなされた。」

4同117頁一三行目から末行までを次のとおり改める。

「 昭和四八年九月二五日の審査会の検査では視野狭窄、視野沈下、眼球運動異常が認められたが、同四九年五月一〇日の検査では視野が拡大しその変動が著しく、同五四年四月一九日の検査では視野狭窄、視野沈下は認められなかつた(乙第九号証の一〇ないし一三、同第六一号証の七)。」

5同判決C118頁一〇行目の次に行を改めて次のとおり付加する。

「(3) 病理解剖所見

甲第四一四号証の一ないし五、同第四一五号証の一ないし一六によれば、鹿児島大学医学部における病理解剖の結果は次のとおりであることが認められる。

Ⅰ主要剖検診断

(一) 大腸癌(管状腺癌、肝彎曲部5cm)浸潤、十二指腸粘膜下

(二) 胃潰瘍(前壁、U1―Ⅳ、1×0.8cm)

(三) 急性気管支肺炎(両側)

(四) 全身性動脈硬化(腎硬化症)

(五) 脳萎縮(一一〇〇g)および脳硬塞(多発性)

A 陳旧性脳出血(右被殼)

(六) 胸膜線維性癒着および石灰化

(七) 胆石(1cm一個)

Ⅱ神経系の所見

A 肉眼的所見

脳外表では左右対称性の脳萎縮と脳動脈の内腔狭窄(三〇〜五〇%)を伴なう中等度の動脈硬化を認める。割面では皮質の萎縮と脳室拡大が見られるが鳥距野ではGennari線は保たれている。

右被殼外側に3×0.7×3cmの三日月状の腔があり、壁は黄かつ色である。左被殼および小脳左半球に三〜五mmの小血腫が見られ、小脳虫部に軽度の小葉性萎縮が認められるが、脳幹部、脊髄には著変は見られない。以上をまとめると

(一) 中等度の動脈硬化

(二) 陳旧性脳出血(右被殻)

(三) 大脳および小脳の多発性硬塞および小血腫

(四) 中等度脳萎縮

B 組織学的検索

(一) 脳全体に血管の硝子化が著名にみられ、肉眼で認められた硬塞巣以外にも大脳皮質を中心に微小硬塞が無数に散在している。

(二) 大脳皮質では神経細胞の脱落とグリア細胞の増加が見られる。この所見が前頭葉と比べて後中心回、上側頭回、鳥距野などに強いことは確認できない。

(三) 鳥距野では皮質における垂直性の細胞配列の不明瞭化が認められる。

(四) 視放線の髄鞘染色で内矢状層は外矢状層に比べ、わずかに染色性の低下がみられる。

(五) 小脳では、虫部小節と虫部垂を中心にプルキンエ細胞の配列および方向のみだれと、顆粒層神経細胞のプルキンエ細胞層直下における軽度の脱落がみられる。わずかながら、ベルグマングリヤの増加とその下層に少量の線維化すなわち軽度の瘢痕形成も存在する。プルキンエ細胞の軽度の脱落も見られる。

(六) 水銀の組織化学では小脳のプルキンエ細胞層とその近傍の毛細血管内皮に金属顆粒の集積をみる。

(七) 橋、延髄、背髄には微水硬塞巣が存在する。脊髄後根、前根共に軽度の血管周囲のリンパ球浸潤を認める。

(八) 末梢知覚神経にはほとんど変化は認められない。

C まとめ

本症例の神経病変は動脈硬化性の変化がその中心をなし、小脳には水銀組織化学の陽性反応を見るものの、大脳および末梢神経には水俣病としての一定のパターンを有する病変は我々には確認できなかつた。」

6同C118頁一三行目に「求心性視野狭窄」とあるのを「求心性視野狭窄(ただし、前記のとおり、視野の変動が著しいうえ、昭和五四年四月一九日の検査時点では視野狭窄が確認されていない。)」と改める。

7同C119頁七、八行目および一〇行目に「原因とするものであること」とあるのを各「専ら原因とする疑があること」と改める。

8同C120頁一一行目の次に行を改めて次のとおり付加する。

「 一審原告らは、前記病理解剖所見は、典型的な水俣病の病理像を示していないが、メチル水銀中毒症と矛盾するものではなく、病理においても水俣病にみられる所見が一つでもあれば、水俣病が疑われるのであり、まして水俣病の基本的な所見ないし特徴的な所見、すなわち前記病理解剖所見のうち、小脳におけるプルキンエ細胞層直下における顆粒細胞が軽度脱落して軽度の瘢痕形成いわゆるアピカルスカーが存在するのだから、亡中島親松は当然水俣病と認められるべきであると主張する。

ところで、メチル(有機)水銀による中枢神経系の病変には一般に選択的好発局在が認められ、大脳では視覚の中枢である後頭葉の鳥距野、知覚の中枢である頭頂葉の中心後回、随意運動の中枢である前頭葉の中心前回、聴覚の中枢である側頭葉の横側頭回の皮質が選択的に侵され、小脳では皮質のプルキンエ細胞層直下からはじまる顆粒細胞の脱落があり、プルキンエ細胞は比較的保たれて、メチル水銀で小脳が侵されると言語障害、運動失調を来す。そして末梢神経では知覚神経優位の障害が認められ、これが四肢の知覚障害、しびれ感を来すものとされ、軽症のメチル水銀中毒(水俣病)であつても病巣選択性は依然保たれ、末梢有髄神経線維の変化は必ず認められるとされている(乙第八一号証の一、二、甲第四八二号証の一ないし三)。

そして甲第四八二号証の三(水俣病の病理総論四六六〜四六八頁)によると、熊大武内教授は、顆粒細胞の脱落の仕方にメチル水銀中毒ないし水俣病では特徴がある。一般に、新旧小脳の区別なく、小脳半球および虫部の比較的深部中心性に障害が現われ、小脳回の深部のものに比較的早くかつ比較的強く現われ、その小脳回の先端部のプルキンエ細胞直下からはじまる顆粒細胞優位の障害がある。最も軽い障害は、顆粒細胞の減数がわずかで深部小脳回の先端部に顆粒細胞の限局性消失があつてその部が瘢痕性収縮を示す場合があるとし、その尖頭瘢痕=アピカルスカーを水俣病の小脳における特徴的病変としている。ところで、亡中島親松についての前記の病理所見および<証拠>によると、亡中島親松の小脳には非常に軽度のアピカルスカーに似た病変があつて、プルキンエ細胞層とその近傍の毛細血管内皮に水銀顆粒の集積があることが確認されているのであるから、亡中島親松の小脳がメチル水銀により汚染されていること自体は明らかであるが、問題はメチル水銀中毒症状を来たす程度に顆粒細胞に対する損傷を与えていたか否かであるということができる。しかして<証拠>によると、アピカルスカーと判別できない剖検の所見が悪性腫瘍や加齢に伴つてもみられることが認められるところ、亡中島親松は悪性腫瘍に侵され老令でもあつたこと、そして、メチル水銀中毒によるプルキンエ細胞直下の顆粒細胞の間びき脱落の場合、プルキンエ細胞そのものは割と保たれて脱落しないが、亡中島親松の場合はプルキンエ細胞の脱落もみられ、これは両側小脳半脳の栓塞による虚血の影響による可能性が強いこと、そして何よりも前叙のとおり末梢知覚神経に必発とされる障害は認められなかつたことからすると、亡中島親松に軽度のアピカルスカーないしはアピカルスカーに似た病変があつたことを以て亡中島親松に認められた臨床症状が水俣病罹患に基づくものと認めるには足りない。

もつとも、当審証人白木博次、同後藤正道(第二回)の各証言によると、いわゆるハンター・ラッセルの有機水銀中毒例において、四肢の知覚障害の認められた患者が一五年後に死亡して解剖に付された病理所見において、末梢神経はすべて異常がなかつた旨の報告があり、また、胎児性水俣病の場合も、中枢神経、特に大脳、小脳に強い病変がみられるが、末梢神経の病変が非常に軽く、あるいは認められない場合すらあるという報告も認められるものの、前記証人後藤正道の証言によれば、現在までになされた多くの水俣病患者の剖検例からすると、成人の慢性水俣病患者の病理学的な所見としては、末梢神経の障害は必発とするのが一般的見解であることが認められ、ハンター・ラッセルの有機水銀中毒例における末梢神経についての病理解剖所見は、電子顕微鏡による検索までなされているのか否か明らかでなく、亡中島親松の場合にそのまま妥当するとみることは疑問というべきである。

ところで、一審原告らは、更に、水俣病患者の知覚神経が再生すること、むしろ再生した線維の多いことが慢性軽症例には特徴的であり、亡中島親松には同人が一旦末梢知覚神経に障害を受け、その線維が再生したため、脊髄の前根(運動神経)に比較し後根(知覚神経)に有髄線維が多い状態となつたのであり、亡中島親松の有髄線維がほぼ完全に保存されて末梢神経にほとんど変化が認められないからと言つてメチル水銀中毒症に罹患していなかつたことにはならないと主張する。甲第四八二号証の三(武内・衛藤「水俣病の病理総論」四七四頁)によると、未梢神経の病変について『古い病変としては、発病当時の強い障害の修復機序とそれに続発した変化が主体となる。比較的に瘢痕巣が証明されにくくて多くは微小線維の比較的増加、無髄線維の比較的増加、有髄線維の微小化など神経線維の再生像が多いことは脊髄神経節の節細胞壊死よりも、末梢神経一次性の障害のあつたことを物語る。……有髄線維の再生が比較的よく行なわれた場合でも、一般にそのような再生線維は直径が小さく、軸索直径も、髄鞘幅もともに小さい。したがつて有髄神経線維全体の直径も小さくなる。小さくなつた再生線維のうち有髄化したものは、そのミエリン構造は正常とかわらない。しかし層全体の幅がしばしば菲薄である。軸索も小さいために正常の有髄線維と区別できる。』と記述され、メチル水銀に侵襲された末梢神経の線維は障害を受けたのち再生するとしているが、随害を受けて再生した線維は正常の有髄線維と区別されるともしている。ところで、甲第四一五号証の一二、乙第九二号証、同第九三号証の一、二によると、鹿児島大学第三内科皆内康広医師は、亡中島親松の末梢神経の所見として『腓腹神経、後脛骨神経ともに写真に示す如く有髄線維はほぼ完全に保存され、単位面積あたりの総数一〇・四七五/mm2(腓腹神経)一一・三〇六/mm2(後脛骨神経)であり、ヒストグラムも二峰性分有であり、正常対照と差はなく、組織病理的にも異常は認めない』としているのであつて、亡中島親松の末梢知覚神経が一旦障害を受けたのちその知覚神経が再生したことを裏付けるものとは言い難いから、一審原告らの右主張も採用し難い。

なお、<証拠>、原判決中坂本武喜の水俣病罹患の有無に関する説示部分(原判決C130頁四行目からC141頁七行目までで、右部分を引用する。)、亡坂本武喜の訴訟承継人と一審被告間の昭和五九年一月九日付当審における和解調書によると、亡中島親松の臓器のトータル水銀値は、一審原告ら主張のとおりであり、小脳についてはコントロールの約二倍から三倍の蓄積、大脳皮質については三倍から四倍の蓄積があり、一般に中毒物質とその発症、症状の度合との間に量と反応の関係(dose-response relationship)があるとされていること、亡坂本武喜は、同人に認められる四肢の知覚障害、軽度運動失調、構音障害、視野の沈下、いずれも亡中島親松の場合とほぼ同様に、脳血管性障害、変形性頸椎症、高血圧性眼底等に原因するのであつて水俣病に罹患しているとは認定できないとして原審でその損害賠償請求は棄却されたが、同人は当審係属中の昭和五八年二月六日多発性胃潰瘍による出血で死亡し、熊大で病理解剖に付され、その病理所見に基づき熊本県の審査会で水俣病であると判定され、亡坂本武喜の訴訟承継人と一審被告との間で前記協定書によつた和解が成立しているが、亡中島親松の臓器水銀値は亡坂本武喜の臓器水銀値を上回つており、亡中島親松が亡坂本武喜より高度にメチル水銀の汚染を受けていること、一審原告中島ツヤは、亡中島親松の病理解剖が、水俣病の病理解剖に堪能な熊大医学部でなされていたなら、審査会で水俣病の判定を受けることができたのに、鹿児島大医学部の病理解剖であつたため水俣病の判定を受け得なかつたことが極めて残念である趣旨の供述をなしていることが認められる。

しかしながら、前記甲第四六九号証の一〇(亡坂本武喜の神経病理所見総括)によると、熊大医学部における亡坂本武喜の神経病理の所見は

『一 大脳、皮質内に老人斑が散見される。髄質不定部位に淡明化がみられる。鳥距野、前後中心回、上側頭回等の第Ⅱ〜Ⅳ層の神経細胞のわずかな脱落減数とグリア細胞の増加、色素の増加、色素貧食細胞の増加を認める。

二 小脳、虫部矢状断および右小葉内側部に小軟化巣が認められる。深部分子層のグリア細胞の増加およびプルキンエ細胞の配例(ママ)不整がみられTorpedo形成をみる。尖頭部顆粒細胞の軽度脱落、減数がみられる。

三〜五 略

六  脊髄末梢神経、前根神経は比較的よく保たれているが、線維束によつて膠原線維の増加がみられる。後根神経は30〜40%の有髄神経障害が前根に比しやや強い障害をみる。腓腹神経には左右差があり(右>左)右は50%、左は30%程度の障害をみる』

ということであり、水俣病の典型的な病理病変とされるところの、大脳皮質の神経細胞の脱落とグリヤ細胞の増生が鳥距野、前後中心回、側頭回優位にみられること、小脳におけるプルキンエ細胞直下から始まる顆粒細胞の脱落がみられること、知覚神経(脊髄後根)優位の末梢神経の障害があることを備えており、亡中島親松にみられる前叙の病理所見とは異つているうえ、乙第六一号証の六、当審証人大勝洋祐の証言、原審証人武内忠男の証言(第一回)および亡中島親松、亡坂本武喜につき症状出現とその経過および現在の症状の項において認定した事実によると、メチル水銀に対する感受性には個体差があること、亡坂本武喜はその脳血管性障害による発作前に両手のしびれ感、頭痛、頭重感、めまいを訴えていたが、亡中島親松はその発作前にときどきずんずんするような頭痛があつただけで、両手のしびれ感などを訴えた事実はなく、その発作後の歩行にも脳卒中に特徴的なウエルニッケマン型の歩行障害がみられたことなどが認められ、亡中島親松に認められた臨床症状およびその訴えた自覚症状は、前記の病理学的所見を併せて考察するとき、専ら、同人の脳血管性障害、高血圧性眼底、変形性頸椎症による疑が存するものというほかない。他に以上の認定判断を覆すに足る証拠はない。」

第六  そこで、一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚の各損害について判断する。

一一審原告らは、本訴について、損害を一審被告の犯罪行為によつて引きおこされた環境ぐるみの人間破壊にもとづいて一審原告らがうけた社会的、経済的、精神的損害の総体としての被害そのものであるとし、従来の被害を個別的に計算する方法は水俣病被害の実体の特質を正しくとらえるものでなく、また一審原告らあるいは患者らが受けた被害は質的に差がないものであるから、いわゆる被害のランクづけは誤りであり、結局、包括的かつ一律に損害額を算定すべきである旨主張する。

しかし、一審原告ら自身が主張するように水俣病患者の症状は多彩であり、不快感ないし日常生活に軽度の支障を来すに過ぎない症状のものから、死に至る極めて重篤な症状のものに及んでいるのであつて、かかる症状の差をも無視して一律に損害を算定することは、加害者の不法行為により生じた損害を可能な限り具体的に算出し、これを不法行為者に負担させることにより、公平妥当な解決を図ることを目的とする不法行為法の趣旨に反するものというべく、一審原告らが主張するように環境ぐるみの人間破壊による被害ということで、被害者の個々の具体的程度を無視して一律請求を合理化しうるものではないというべきである。ただ、慢性型の水俣病の症状は固定的とは言い難く、軽快するとは限らないのであり、現在の症状だけから差等をつけ難い場合があるのはいうまでもないことであるが、現在の症状の程度に応じて損害額を一律化することがあつても、これは一審原告ら主張の右一律請求とは異るといわねばならない。

そしてその主張する包括的請求は、水俣病罹患前の右一審原告らの所得などについては何等主張立証がされておらず、包括的損害評価が可能な証拠資料はないから、結局のところ、右一審原告らが水俣病に罹患したことにより直接受けた精神的、肉体的苦痛と水俣病に罹患していることによつて日常生活上当然被る社会経済的損失および個々的には立証が煩瑣で容易でない出費などを包括する意味において請求しているものと解するほかない。

ところで、右損害額を算定するに当つては、一審原告らの本件被害が一審被告の環境破壊による公害としてもたらされたものであつて、右一審原告らは公害としての被害を回避する余地を与えられておらず、その過失は考えられないうえ、水俣病の症状は、その程度が軽度であつても、適切な治療法はなく、時の経過に伴つて軽快する傾向もみられるものの、加令や他の疾病に罹患することにより、水俣病の症状が増悪することもありうることなどを考慮すべきは当然である。

二1  一審原告竹本己義の損害

前記引用の原判決認定の事実(同一審原告の症状について認定した部分)並び<証拠>によると、同一審原告(六〇才)は、水俣湾産の魚介類を多食していたが、昭和三八年頃から手足のしびれ、頭痛、肩こりがあるようになつたが、とりわけ時に意識がぼーつとなることが一番不安であると訴えていること、かつては日曜大工で一寸した家の造作もできたが、現在では従前どおり失対事業に出て帰ると疲れ、家庭的な作業はできない状態であること、殊に、朝起き直後の便所は極めて大儀で這つていくことさえあると訴えていること、家庭生活の面では、四五才頃から夫婦関係も遠くなり、娘三人(いずれも水俣病の認定を受けてはいない。)のうち一人は水俣病患者ということで縁談もうまくいかなかつたと思つていること、そして昭和五三年三月から水俣協立病院に多数回通院しているが、それは水俣病の疑という傷病名だけではなく、慢性胃炎、化学的糖尿病、高血圧症、第四指関節痛、発作性頻搏症、左膝関節炎、痔疾、上気道炎の傷病名による通院も含まれていること、その間昭和五六年八月二四日失神発作、びらん性胃炎、食道ポリープで入院したこともあるが、水俣病症状によるものであるか否かは明らかでないこと、他面、同一審原告は昭和三一年から現在まで自転車通勤で失業対策事業の人夫として月平均二〇日間稼働し、昭和四三年からかなりの長期間地区における全日自労の委員長の役職に就いていた実績があることが認められる。以上の事実からすると、同一審原告に認められる水俣病の症状は軽度で従来どおり就労すること自体には支障を来していないが、加令の点を考慮に入れても、易疲労感、不安感が伴い日常生活に支障を及ぼしているというべく、その年令や、家庭的、社会的な生活の面での不利益など諸般の事情を考慮するとき、同一審原告の損害額は金七〇〇万円と認めるのが相当である。

2一審原告岩崎岩雄の損害

前記引用の原判決認定の事実(同一審原告の症状について認定した部分)、<証拠>によると、同一審原告(六一才)は、水俣湾産の魚介類を多食していたが、昭和四三年頃から四肢のしびれ感、脱力感を覚え、漁に出ても網を引く力が弱くなつたこと、それでも昭和四五年(当時四八才)頃から半年間、一審被告会社水俣工場に勤務し、同工場では一番つらい現場とされたカーバイト工場で働き出勤率も良好であつたこと、その後昭和五六年まで再び漁業を続けたが、力仕事の漁が出来なくなり息子の操舵する舟で漁場を教えたり、漁の指示をして軽い作業をなしていたこと、その間、船から転落することもあり、仕事後の疲労感も強くなつたこと、昭和五六年から友達と共同で地金商を始め、金鋼(ママ)や鉄パイプ類の回収をやつているが、手足のしびれ感からガス切断機も十分使えないため、軽作業を分担し、パイプの切断個所をハンマーで錆落ししたり、船が座礁しないよう見張りをすることなどをしていること、そのようなことで地金の売上金の配分の割合も少いし、一寸したことで転び、判断を誤つて怪我したり骨折したりすることがあること、殊に、子供に漁業の事を教えてやれないのを残念に思つており、現在でも好物の刺身も唐幸子をかじりながらでないと味がわからないし、頭を上から押えつけられたような重苦しい感じがあり、手足のしびれがあつて生活が思うようにやれないと訴えていること、昭和五三年三月二一日以降水俣協立病院に通院しているが、その傷病名は、水俣病の疑だけでなく、高血圧症、不顕性梅毒、慢性アルコール中毒、貧血症、腰痛症、糖尿病、胃潰瘍、上気道炎、鼻部火傷、右手、右足指骨折など極めて多種にわたり水俣病罹患と無関係の傷病も多く、水俣病の疑だけで通院しているものではないこと、以上の事実が認められる。以上の事実によると同一審原告に認められる水俣病の症状は軽度であるが、日常生活に支障を来たしているほか、その年令、家庭生活、社会生活上の不利益などの諸般の事情を考慮し、同一審原告の損害は金七〇〇万円と認めるのが相当である。

3一審原告岡野貴代子の損害

前記引用の原判決認定の事実(同一審原告の症状について認定した部分)および<証拠>によると、同一審原告(四〇才)は、水俣湾産の魚介類を多食していたが、小学校三、四年頃から一時的に意識がなくなることもあり、体育などは見学することが多かつた、昭和四〇年四月(当時二〇才)一審原告岡野正弘と結婚後頭痛がひどくなり、買物に出て途中意識を失い病院に運び込まれたことが何度かあつたこと、昭和四六年頃から炊事中、指先がじんじんしてからす曲りが起り一時炊事を中断しなければならないこともあつたこと、味覚も鈍麻しているので家族の好みの物が作れず、家事も主人や子供に手伝つて貰うこともあること、頭痛で寝込むこともあるので子供から頼まれた用事を忘れたり果せなかつたりすることがあること、とりわけ、夫婦関係では疲労感を覚え翌日の家事に支障があるため夫の要求に答えられないのを心苦しく思つていること、昭和四五年以降理化学療法を受けるため通院しているが、症状は必ずしも軽快していないこと、しかし、体の調子が良くないのであまり運転はしていないとはいうものの、昭和五五年中に半年がかりで自動車の運転免許を取得した実績もあり、几帳面で清潔好きであるため家の内を散らかしておくような状態ではないことが認められる。以上によると、同一審原告の水俣病の症状は軽度であつて、家事労働が出来ない訳ではないが、頭痛、易疲労感などで日常生活や家事労働に支障を及ぼしていることが認められ、その他、年令、家庭的、社会的な面での不利益など諸般の事情を考慮し、同一審原告の損害額は金一〇〇〇万円と認めるのが相当である。

4一審原告緒方覚の損害

前記引用の原判決認定の事実(同一審原告の症状について認定した部分)並びに原審における一審原告緒方サチ子本人尋問の結果、原審および当審における一審原告緒方覚本人尋問の結果によると、同一審原告(五八才)は、妻サチ子、弟明志と共にごち網漁をし水俣湾産の魚介類を多食していたが、昭和四四年、五年頃から、ともども体の不調を訴えるようになつたこと、特に妻サチ子、弟明志はごち網漁をやつていけない程に体力が衰え、同一審原告だけではごち網漁を続けられないので船を売却し、昭和四七年頃から、妻サチ子が水俣病患者として認定されたこと(なお、弟明志も昭和四九年頃水俣病の認定を受けている。)により支払を受けた補償金を活用し、鯛の養殖漁業を始めたこと、この養殖漁業は長男光広が主力となつて行つており、同一審原告は手足のしびれ、首筋や関節の節々の痛みとだるさがあつて、養殖鯛の餌やりも十分できないこと、特に病院に通院せずに、針や灸、マッサージなどして痛をまぎらわして来たが、左足首と左膝の関節の痛み、首筋の痛みはひどくなつていると訴えていること、以上の事実が認められる。以上の事実からすると同一審原告に認められる水俣病の症状は軽度であるが、日常生活に支障を来しているものと認めらられ、その年令や家庭的、社会的な生活の面での不利益など諸般の事情を考慮するとき、同一審原告の損害は金六〇〇万円と認めるのが相当である。

5弁護士費用について

<証拠>によれば、一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚は一審原告ら訴訟代理人である各弁護士に本訴の提起追行を委任し、右訴訟代理人らが一、二審を通じて訴訟の提起追行を行つて来たことが認められるところ、本件訴訟の難易度、特異性、訴訟の経過、請求認容額および弁護士費用請求の時期など諸般の事情を考慮すると、一審被告は、一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚に対し、各認容された損害額の八パーセントに当る額、すなわち一審原告竹本己義、同岩崎岩雄については金五六万円、一審原告岡野貴代子については金八〇万円、一審原告緒方覚については金四八万円の金員につき、本件不法行為と相当因果関係のある損害として賠償の義務がある。

第七  一審原告中島ツヤ、同松下チヨミ、同中島光雄、同中島孝治、同阪口スミ子、同灘岡とも子、同竹本厚子、同岩崎カヲリ、同岡野正弘、同緒方サチ子の請求について

1前記第五の五で判断したとおり、亡中島親松が水俣病に罹患していた事実は認められず、一審被告に対し損害賠償請求権を取得するに由ないから、一審原告中島ツヤ、同松下チヨミ、同中島光雄、同中島孝治、同阪口スミ子、同灘岡とも子が、亡中島親松の相続人として亡中島親松の一審被告に対する損害賠償請求権を承継取得した旨の主張は理由がない。また一審原告中島ツヤが、亡中島親松の水俣病罹患を理由として自己固有の慰謝料請求を求める部分も理由がないことは明らかである。

2一審原告竹本厚子、同岩崎カヲリ、同岡野正弘、同緒方サチ子は、その夫または妻が水俣病に罹患したことを理由に自己固有の慰藉料請求をなしているが、前叙認定のとおり、一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚の水俣病の症状は軽度であつて、一審原告竹本厚子、同岩崎カヲリ、同岡野正弘、同緒方サチ子がその夫又は妻の水俣病罹患により、その夫又は妻の生命が害された場合にも比肩すべき、またはこれに比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を被つたと認められないから、右一審原告らはその主張する自己固有の慰謝料請求権を取得するに由なく、右一審原告らの請求は理由がないというべきである。

第八  結  論

以上の次第で、一審原告竹本己義の請求は金七五六万円およびこれに対する本件不法行為発生後であることが明らかな昭和四九年四月二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるが、その余は失当であり、一審原告岩崎岩雄の請求は金七五六万円およびこれに対する本件不法行為発生後であることが明らかな昭和五〇年一二月二六日から支払済まで右同様の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるが、その余は失当であり、一審原告岡野貴代子の請求は一〇八〇万円およびこれに対する本件不法行為発生後であることが明らかな昭和五〇年一二月二六日から支払済まで右同様の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるが、その余は失当であり、一審原告緒方覚の請求は金六四八万円およびこれに対する本件不法行為発生後であることが明らかな昭和五一年四月六日から支払済まで右同様の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるが、その余は失当であり、その余の一審原告らの各請求はすべて失当であるといわなければならない。

よつて、一審原告竹本己義、同岩崎岩雄、同岡野貴代子、同緒方覚の請求については、右と異る原判決を主文一、二項のとおり変更することとし、その余の一審原告らの控訴および一審被告の一審原告緒方覚に対する控訴はすべて理由がないのでこれを棄却すべく、訴訟費用および控訴費用の負担につき民訴法第九六条、第八九条、第九二条、第九三条、第九五条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(西岡德壽 岡野重信 松島茂敏)

別紙(一)

請求金員目録

一審原告名

請求金員

竹本己義

三二二〇万円

およびこれに対する昭和四九年四月二日から支払済まで年五分の割合による金員

竹本厚子

六九〇万円

右同

中島ツヤ

一七六三万三三三三円

およびこれに対する昭和五〇年六月一三日から支払済まで年五分の割合による金員

松下チヨミ

四二九万三三三三円

右同

中島光雄

右同

右同

中島孝治

右同

右同

阪口スミ子

右同

右同

灘岡とも子

右同

右同

岩崎岩雄

三二二〇万円

およびこれに対する昭和五〇年一二月二六日から支払済まで年五分の割合による金員

岩崎カヲリ

六九〇万円

右同

岡野貴代子

三二二〇万円

およびこれに対する昭和五〇年一二月二六日から支払済まで年五分の割合による金員

岡野正弘

六九〇万円

右同

緒方覚

三二二〇万円

およびこれに対する昭和五一年四月六日から支払済まで年五分の割合による金員

緒方サチ子

六九〇万円

右同

別紙(二) 正誤表<省略>

別紙(三) 汚染のひろがり<図面省略>

別紙(四) 真正に成立を認めた証拠目録<省略>

別紙(五) <省略>

別紙(六) <省略>

別紙(七) <省略>

別紙(八) <省略>

別紙(九) <省略>

別紙(十) 協定書(一)<省略>

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